道院宣闡資料より


道院紅卍字会の栞より


道院紅卍会は何をするところか?
今や倫理道徳は頽廃し、精神指導の大きな役割を果たしていた宗教は権威を失い、もはや収拾することができなくなった、というのが偽らない現実ではなかろうか。
 このとき、世界の代表的五大宗教(仏、基、回、道、儒)を生して
至聖先天老祖の名を以て大同世界への道を宣言したのが道院、紅卍会である。ここは扶乩による天啓の神示に基づいて、内に心身を修め、外には慈善活動をする所である。
扶乩
フーチは中国数千年の古来から伝わるもので、その方法は、神前において砂盤を中心に両方から二人が扶筆を支えているうち神霊のまにまに砂の上に文字か書かれ文章となり、また書や画が描かれてくるのである。この文章たるや深遠な宇宙の真理から、各人の修道に至る典範となり、一大警告、予言ともなる天啓の金字塔である。
 書画壇
書画壇は書画の揮毫を請う所であるが、砂盤の代りに画仙紙などを用い、扶筆の先に毛筆を用うれば、時に王義之、呉道元、李太白等の諸聖が降って揮毫されるが、その筆跡は、現在世に伝わっている真筆や拓本を寸分も異ならない。
 
道院、紅卍会の概要
道院、世界紅卍会は1921年(大正10年)2月、神の啓示によって中国山東省に発祥した。
道院は修養の機関とし、世界紅卍会は社会福祉の慈善活動機関としている。前者を内修、後者を外慈、つまり内修を忘れた慈善も、外慈を忘れた修養も共に片手落ちだとされている。
戦前までは中国全土(満州を含む)にわたって四百数十ヶ所の支部を有し、大陸で過ごした日本人ならば「紅卍会」の名を知らない者はない程に積極的な活動をしていた。
わが国との交わりは、彼の関東大震災にさいして最も速やかに救済の手をさしのべた時にはじまる。
前期の通り、道院と世界紅卍会は表裏一体の関係で、内面的修養と外面的慈善活動を行うのである。その一切の経典、綱則章程は勿論、役員の任命、組織その他活動に至るまで悉く神示(扶乩)によっている。
(現在は 扶乩は終了している)
中国なは古来道教が広く信仰せられているが、道院は道教ではない、一切を超越した修養団体である。かって道教と道院が混同されるのでこの表現に神示を仰いだところ「道院はその文字のまま道院(タオヨワン)と発音して外国文字で表わし、その説明として
『道院とは宇宙の真理を究明する最高学府である」と明示せよ」とのことだった。
即ち道院では、古来の聖賢仙仏は神霊界の天使であって、宇宙の主宰神である至聖先天老祖の命を奉じて各地各時代に降臨して衆生を導き救われたとしている。例えていえば、
至聖先天老祖を学長とし、基、仏、道、回、儒等の五大宗教の教主を学部長とし、その他聖賢仙仏等、先覚の諸霊を教授又は講師とする一大学府というのである。
 求修の(入門)の手引き
至聖先天老祖(主神)の弟子となって、修道を希む者は、先ず求修を願い出る。お許しがあれば、それぞれ道名を賜って修方(弟子)となる。
 求修の願文
願わくば功行を修めん事を。
願わくば上乗に到らんことを。
願わくば真諦を得せしめんことを。
願わくば衆生を度せしめんことを。
 修方としてなすべき眼目は三つある。
①修坐 ②誦経 ③慈行

道慈資料(青井堅氏、道名は宜珠)を中心にして編纂されたものより抜粋

青井氏は自動車の排気ガスを綺麗にする発明をして事業を起こされた人です。
私は氏の会社を秀和氏の用事で訪れ丁度昼時ということで食事に連れて行ってもらい天麩羅をご馳走になったことがあります。
この方のエピソードも後日書く予定です

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