永遠の生命、安心


1永遠の生命、安心
2真中(しんちゅう)の写真
3
4掌と舌の位置
5坐をしてみよう
6純任自然
7玄の又玄
8カミナリは怖くない
9「20年を1年に短縮」
10権利
11あなたが成りたいのは仙人、仏、聖者、神、超能力者?
12

13
14有無
15悪人、利己主義者の皆さんもこの坐で永遠の生命、安心を
16仕事、唯物論者だった私
17大嶽山荘
18林木(りんぼく、リンムー)先生
19林木(りんぼく、リンムー)先生 続き
20和気之才 是万堂之喜(わきのさい これまんどうのよろこび)
21酒、煙草、大麻、覚醒剤? もっと気持ち良い事 続くのあります!
22化万劫於無形(かばんごうおむけい) 真のボランティア
23只管打坐(しかんたざ)
24}大嶽での誦経
25生と死の狭間で
26道院って?
27ブログの主旨
28理論抜き 120歳まで若く健康でいられる方法
29楽しいこと、気持ちよいことが奇跡を起こす
30理論抜き 超簡単な修養
31修養の仕上げって? 無為自然、般若波羅蜜多、心坐
32「学問」とはなんぞや?  天命を知ること・・・なんちゃって*
33成功した人生とは  どのような人生だと思いますか?
34心坐
35般若波羅蜜多とは?
36私が思う無為自然
37理論抜き 120歳まで若く健康でいられる方法にコメントが有りました
38道院(銀座)に行って来ました
39般若波羅蜜多とは? にコメントが有りました
40先祖、子孫が気になる人に (三代 九代)
41直ってわかるトリガーポイント
42フーチ(扶乩) 四 三 一 二 
43太乙正経日訳の意義 フーチが無くなっても大丈夫
44無念者さんのコメントに答えて
45長命の確信による人生の見方の変化 (私のブログは終了の予定でした)
46「真人クラブ」の名称を変更します
47道院に伝わるエピソード(1-1)
48道院に伝わるエピソード(1-2)不思議な焼き餅売り(笹目秀和氏原稿の記事より)
49道院に伝わるエピソード(1-3)奉天道院、開院式
50道院に伝わるエピソード(1-4)奉天道院、開院式
51関東大震災に対する物質的援助
52道院に伝わるエピソード2
53別版 関東大震災に対する中国道院の援助
54食事ですか? ナイフで口を切っていますよ!
55大変! 帰宅途中で心臓麻痺
56怒りの刃は最初に自分を殺す!
57修期
58太乙正経午集日訳を活用
59道院 その明るい100年ビジョン
60異常な人性 良くする方法は?
61神化呪
62タケノコ怖い!
63密教では仏になれない訳とは
64ヨガ
65禅天魔とは何か
66老子さんの教えを読んで
67道は做
68読者コメントにお答え
69心坐の一つの方法として
70
71二年間期間限定
72経典
73修養
74生きる!意味と方法の入手方法 

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永遠の生命、安心

2009年5月24日~12月28日までのGooブログから編集、再録したものです

永遠の生命、安心

                                      2009年05月24日 | 日記


このブログは永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します

相当才能のある人は
炁樂仙女さんの(生きる!意味と方法)を読んだだけで得ることが出来るかもしれません
普通の理解力の人は(生きる!意味と方法)+太乙正経午集日訳及び参考解説を
一緒に読むと得ることが出来るのではないでしょうか
ここでは私(修方)が炁樂仙女さんより教えを受けた事を基に出来るだけ説明を試みます

方法が解り(習慣=癖にしてしまう)を身に付けると後は自動的に進歩するのを待つ
これだけです

方法は最初に中真に真中を作り次に妙窔から自動的に炁が入ってくるようにする
中真(ちゅうしん)は場所、真中(しんちゅう)は炁胞の子、妙窔は場所です
中真の場所は心臓の少し上とくらいと考えれば外れるとも遠からずだと思います
現に修方が偶然写真に撮られて写った
真中(しんちゅう)は直径約11cm(隣にパスポートが写っていたのでそれと比較して)で
心臓の少し上くらいに在りました
真中は真の人間に成るためには必要不可欠なものです
妙窔の位置は囟門赤ちゃんの時頭の天辺でピクピクしている処です

具体的には坐を行います。椅子に座ってする楽な方法です
これの一番難しい点は続けるということです。
最初は何も体の中で起こっていることが感じられません
そうすると眠気がしたり
厭きたりして続けることは相当難しいことでしょう
 
ですが永遠の生命と永遠の安心を得るという目標の為には少しは努力しないとね
それにある程度進歩し、気が動くようになって内臓などの具合の悪いところを修復
(この坐の起こす自然治癒力の凄さを少しここで判るようになります)
するようになったり
甘いしびれる様な気持ちよさは経験した者にしか判らないでしょう

この坐は 先天と後天の中間の所を押さえていると体内の全ての運営を正常にしてくれる
又不具合を正し健康にする
炁を聚め人間を完成させる(真人なる)という坐です

真人の代表としては老子、釈迦、イエス、マホメット、孔子様といった方々で 
この坐をするとこれ等の方々が教えを説いていた時点のところまでたどり着くか
又は越えることも可能な坐のようです

詳しいことは来年炁樂仙女さんがブログを開いて教えてくれるでしょう
私のブログは今年の年末までの期間限定です(予定でした)

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真中(しんちゅう)の写真

                                      2009年05月24日 | 日記

修方が偶然写真に撮られて写った真中は
直径約11cm(隣にパスポートが写っていたのでそれと比較して)で心臓の少し上くらいに在りました

(誤解を招く恐れが生じた為写真は削除しました)


真霊の基のようなものです

修養によってこの光の粒を増やしてゆきます

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                                      2009年06月01日 | 日記

実際の仕方
詳しく丁寧な仕方は炁樂仙女さんの(生きる!意味と方法)
を読むと良いでしょう
ここでは大まかなことをも述べます
座って気持ちの良い椅子に楽に座りましょう
椅子の高さは膝が直角になる高さ
掌を膝の皿の上に乗せて 
掌の労宮と膝のお皿の中央のちょっと凹んだ処を合わせる
口を閉じて舌を上の門歯の歯茎に付ける
瞼を垂らして薄目を開ける
中真のところでふわっと柔かいボール状の空間(虚)を感じます
その空間の(静けさ)を楽しんでください
一日のうちに出来れば時間を定めて16分坐をして下さい

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掌と舌の位置

                                       2009年06月02日 | 日記

掌の労宮と膝のお皿の中央のちょっと凹んだ処を合わせる
というのが正しいとされる方法なのですが私の場合は
薬指の根元と膝のお皿の中央のちょっと凹んだ処を合わせています
というのは其の所で 
心臓の鼓動が感じられてここが私のスイッチの
在る所だと判るからです 
場所は人によって少し違うかもしれません
自分でここだと思うところを探してください
舌は場所がきちんと合うと弱い電気が来たように
ピリピリする所です
でも感じないからといってがっかりしないで下さい
感じる人は有利であるというだけです
其の内に気が良く回るようになると誰でも感じるようになるでしょう

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坐をしてみよう

                                           2009年06月03日 | 日記

坐の準備です 部屋は少し薄暗いくらいがよいと思います
体の歪みを直しておくとよいと思います
体がゆがんだまま坐をすると座っているうちに
体が傾いたような感じでとても気持ちが悪いものです
ヨガやストレッチなどをすると良いでしょう
食べ物のことなのですが、精の強いものは気をつけましょう
坐の前にたまねぎを刻んで涙が出たときに
気が荒れてしまって困ったことがありました
くすぐったいような飛び上がりたいような
居ても立っても居られないという感じです
仏教のお寺等で薫酒山門に入るを許さず
という言葉を聴いたことがあると思いますが
あれは座禅に支障があるからだと
身をもって経験したことでした

最初は効果を期待してはいけません
ただ気持ち良く16分座っていられたら上出来です
雑念が出てきても気にしないで下さい
其の内に気が動くようになると
特に激しく動くような時は
雑念などと言っていられなくなる
ようなことも経験するでしょう
今はすぐにふわっとボール(虚)にもどって
静かさを楽しみましょう

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純任自然

                                      2009年06月04日 | 日記

ここで紹介する坐と一般の瞑想を
私の浅い知識の中でですが比較してみようと思います

ちょっとおかしな例えですが人の形のふうせんを
膨らませることに例えてみます
胸のところから気、炁を入れます

一方は入ってくる気、炁を自分でコントロールします
薄くなっている所を補強したり
好きなところを重点的に膨らませます
この方法は最初はとても早いです
ですが気をつけて下さい パンクしたら大変です
瞑想、坐で事故があったら致命的です
薬や医者では決して治りません 諦めるしかありません
ですからこの方法では師匠、グルがいつもそばで見守り
アドバイスをする必要があります

もう一方は気、炁を自分でコントロールしません
気、炁が入ってくるそして薄くなっている所を補強したり
重点的に膨らませるところを任せてしまいます
とにかく自分はなにもしません
中真の所で門番をしているだけです
するとしばらくは何の変化も無かったりします
呆れるくらい何も無い
でも後で気が付くと内側の補強を徹底的にしていたり
外見までシナヤカにしていたのが判ってビックリした
等ということが在るかもしれません

とにかく時が来ると物凄い速さで大きくします

本来 気、炁というものは自分のすること、すべきことを
解っているものなのです

ただ中真で門番をしていなければ気、炁は入ってこれません
ただ門番をしているだけで扉が開き
気、炁が入ってくることができるようになります

門のところに居ないと駄目なのです
そして気、炁を自分でコントロールしない
そのことこそが最も重要なことなのです
それでこそ この坐が自修出来る要です

他の坐、座、瞑想、座禅では必ず師匠が必要です
それも最低でも天目が開いたお方が
つまり相手の気、炁の動き健康状態、霊の厚さ薄さなどを
一目で見分けられる能力を持たれたお方
でなければ殆ど事故を起こし失敗するでしょう

この坐では 気、炁 を自分でコントロールしないしないことを
純任自然 と言います

純任自然こそがこの坐の重要事項です

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玄の又玄

                                          2009年06月04日 | 日記

玄の又玄衆妙の門 辞典で調べると
宇宙の万物を生み出すところのもと
あらゆるものの出てくる微妙な根源とあります

中真で静かにしているとたどり着くところが玄の又玄 
たどり着いたところの後天の側が玄
先天の側がゲン(漢字の六を書いてその下に口という字を併せてゲン)
辞典に載っていないので外字です
そして先天から後天への出口が 玄牝
その対になっている後天から先天への出口が
ゲンジク(六口のゲンに 朒)

つまり先天と後天のエネルギーの行き来するところ
純任自然の坐をしていると先天のエンルギーが入ってきて
また後天の余ったエネルギーが先天に戻される
気、炁は為すべきことがわかっている
全ての好き事はここより生み出される

人は真中が出来ないと真人になることが出来ません
先ず中真で真中を作る事が第一です

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カミナリは怖くない

                                      2009年06月12日 | 日記

地震、雷、火事、親父、もっと怖いのは放蕩息子
落語家何かで聞いたことがあるような言葉です
今も昔も雷は怖いものの中でも中々ランクは上のようです

そういえばわが家のゲンくんも子犬の時は平気でしたが
晩年は雷をとても怖がっていたものです
五~六年前の雷でFAXが故障したとき以来のことです
其の時は出かけていてゲンくんは留守番
ショッピングセンターの中に居たとき雷が鳴っていたようです
帰ってきたら近くに落雷したらしくFAXが故障していて
それからは雷が鳴ると玄関に入ってきて震えていました
仕方が無いので私が玄関で形坐をすると
膝の間に入ってきて外のほうを向いてハアハアしていました

私が坐をすると雷が光ってから音がするまでに
約三秒の所まで雷は遠ざかるようです
炁樂仙女さんが坐をすると消えてしまいます
炁樂仙女さんが言うには坐で陰陽が中和するからだそうです

雷にもお仕事があって
雷が鳴るとキノコが良く生えたり作物が豊作になる等と
聞いていますので今はよほど近くまで雷が来るまでは
特別には坐をしない様にしています

皆さんも興味本位で坐を試すようなことは止めてください
雷が嫌いであまり近くまで来た場合には
ここで紹介した坐をしてみれば
効果があることが判るのではないかと思います

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「20年を1年に短縮」

                                                2009年06月14日 | 日記

私がこの坐にめぐり合ってから 
気が動くのが感じられて坐で体を治されていると感じる様になるまでに約20年かかりました
しかし私の今までの経験と知識(主に炁樂仙女さんに教えてもらったもの)で
この坐を始めた時の私を教えたなら多分1年で気が動くのを感じられたことだろうと思います

つまり20年を1年に短縮出来る
それで此の事を話そうと このブログを書く気になったのと
炁樂仙女さんがブログを遅くとも来年の初め(旧暦)までには開設したい
と話していたのでそれまでに聞きたいことがある人を探しておこう
と言う訳でのブログ開設です
炁樂仙女さんがブログを開けば私の浅い知識のブログは必要ないので
年末までの期間限定(こちらの書き込みは新暦の年末まで)
遅くとも旧暦の年初にはブログを削除して終わり(の予定でした)

さてそれではこの坐について私が経験から解った事などを思いつくままに
書いてゆきます

坐の時間を毎日一定の時間に行うのはとても効果があります
いつも坐をしている時間になると体が坐の体勢になるのがかんじられるようになります
坐中に雑念が起きてもすぐにもとに戻せばよいと考えてあまり深刻に考えないこと

坐の時間は最初に4度(16分)これを120日続けます
これは今まで何も瞑想、座禅等をしてこなかった人の場合

瞑想、座禅、自律訓練法等何らかのことをしてきた人は
坐をしている間 気持ち、心が安定していてゆったりと座っていられたならば
次の段階に入ってよいのではないかと思います

次に時間を8度(32分)に延ばします、これも120日続けます
出来ればこの時間は気持ち、心が安定していてゆったりと座っていられても
120日この時間(32分)を続けたほうが良いのではないかと思います

さてその次は12度(48分)です、やはり120日続けます
早い人ではもう随分以前から気の動くのを感じる人がいるかもしれません
また全然感じない人もいるかも知れません
どちらもあまり気にしないでください
いずれ気は動くようになります

また気の動くのが感じられない体質の人でも色々な体の中の動きが
(ゲップが出たりおならが出たりお腹がグーグー鳴ったり)
感じられるようになってきますがこれも気にしないでください
絶対にしてはいけないことは気を自分で思うように動かしたり
作り出したり等しないことです
起こるがままに任せることです、何事も

坐中に不快な感じがしたときは直ちに止めましょう

眠くなったら手の位置を確かめましょう(睡眠は十分に取っておいてください)
またストレッチやヨガなどをして体の骨格を整えておくことはとても良いことです

次に16度、でも気の動きを感じるようになったら
この辺からは時間は自分が良いと思う時間にしても良いのではないでしょうか
8度に戻しても良いし12度でもよい
とにかく毎日一定の時間座ったほうが良いと思います
また長くしたい人は32度(2時間8分)位までで 
それより長いと生活に支障が出てきますので心坐をします(心坐の話は別の機会にします)

最初は欠かさず続けるということが重要です
鶏が卵を温めるとき一日も欠かさずというより一日中卵に気を配り
21日の間絶え間なく温め続ける、其の時にわずか半日でも温めなかったら
卵は全滅してしまいます

この最初の一年が重要です(気が動くまでが)
私のように長い時間が掛かるということは非常に危険です
止めてしまったり、迷路にはまってぬけ出られなくなったりします

最初気が動き始まるまで欠かさず続けることが非常に難しいのが
この坐の難しいところです
坐をすること自体は非常に易しいが 非常に易しい坐をし続けることが
非常に難しい

でもそれは気が動き出して体の痛んだ所を治し始めるまでです
体の痛んだところがあると根本から治すようで
先生(林木先生 りんぼくせんせい)に聞いたところによると
以前に結核に罹った人が治ったのでもう良いと安心していたところ
坐中に結核に罹っていたときと同じような現象が現れてきた
坐を止めるとなんともないので不思議だと思っていたところ
回復の途中で止まっていたのがきれいに直ったのだということでした

私の気が動かなかった原因は雑念が無くなるまでは
4度より12度に進まないようにと言われていた
(雑念があったときにはまた1日目から数えなおす)のを守ったことと
窔(普通は よう とよみますがこの坐をするひとたちは特別に きょう と言います)
の使い方が間違っていたためだと思います

それで炁樂仙女さんのアドバイスで受けて窔の使い方を変え
雑念が在っても時間を長くしてゆきました
その結果それからまもなくして気の動を感じるようになってきました

その後 坐中に鳩尾の右2~3cm上へ4~5cmのところから
少し上に向けて背中まで真直ぐに矢を打ち込まれたか
又は槍を刺されたかのような痛みを感じるようになりました 
痛くてうめき声が思わず出るような痛さでした 
しかし坐を止めるとすぐ痛さは嘘のように無くなってしまう
本当に不思議でした
私は生まれてからその様な怪我をした覚えが無かったのでわけが解りませんでした
とにかく炁気は一番必要なところから直しますので任せておくより仕方がありません
数ヶ月かかりましたがある日気が付いたら嘘のように直っていました

坐は一日に3回までする権利が与えられています

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権利

                                                2009年06月16日 | 日記

坐は毎日欠かすことなく続けることが大切
特に気が動くのを感じるようになるまで
 
仕事の都合などで坐が出来ないこともあるでしょう 
其の時は次の日に坐をしても坐を欠かしたことにはならないと
林木先生は言っていました
1日に3回まで坐をする権利がありますし
坐ができなかった次の日は2回すればよい

毎日続けると言っても中々続けることは難しいものです
1日、2日都合で出来なかった、もう駄目だ
などと思わず
とにかく又坐に戻りましょう  

気が動くようになったらしめたものです
とても気持ちが良くて何とかして坐の時間を見つけようと
するようになるでしょう
(覚醒剤や麻薬に溺れる人が何とかして、覚醒剤や麻薬を手に入れたがるように)

でも薬物に溺れると健康を害したり
金銭的に困ったりと良いことがありませんが

坐にはまると超健康になって、又運が良くなり
永遠の生命、安心も夢ではなくなります

何故坐は1日3回まで出来る権利があるのでしょう
私が思うに本当は3回以上するなと言っているのではないかと
思っています
坐で気持ちが良くなると何回もしたくて
生活に支障が出てくるから?

坐は義務ではありません

坐で気が動くようになると全身の経絡が調和をして
活発に気が流れるようになります
その後に陰目開と言って霊体の目が出来ると言われています

それからしばらくして天目開(林木先生は天目が開いていました)
いわゆる超能力(本当は真人の普通の力)

それからしばらくして坐中に霊体が肉体より出ることが出来るようになる
其の時には100日間は坐をしている部屋から出ないように
(まだ赤ん坊なんだから)との注意が経典にはあります

この坐をして成功した人(真人)には霊体で
永遠の生命、安心を得ただけではなく
肉体を持ったまま永遠の生命、安心を得た人も
何人かいる(多数ではありませんが)ということが
経典(太乙北極真経)に記されています

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あなたが成りたいのは仙人、仏、聖者、神、超能力者?

                                      2009年06月17日 | 日記

私は可能だと思いますよ!
不老不死、解脱、聖人、神様、超能力者
どうしたら成れると、又どういう方法でなれると思いますか
道教、仏教、キリスト教、イスラム教、儒教
皆成れる又成るのを理想としていますがマニュアルとしては
確立しているとは言い切れない状態ではないかと思います

ここではエネルギーの量の問題だと言います
十分な生命エネルギーが適切なところに蓄積されればやがて
道教を信じる人は仙人に
仏教を信じる人は仏に
キリスト教を信じる人イスラム教信じる人は聖者に
儒教を信じる人は神に
唯物論者は超能力者に成れるというのが

私が太乙正経午集
  太乙坐釈法言 
  太乙正経未集経髄
  太乙道邃正経真華
  その他を読んだ結論です
(勿論私は原文のままではチンプンカンプンなので炁樂仙女さんが訳してくれたものを読んだのですが)

皆中々仙人、仏、聖者、神に、超能力者に成れないのは
エネルギーをためる以上に使ってしまい、エネルギーのため方を知らないからです

エネルギーが自然に入ってくるシステム(くせ)を作ってしまい
努力しないでエネルギーを貯め続けるようにすると良いわけです

そのシステムとは坐をして気、炁が入ってくるようになったら
坐をしていない時にも気、炁が入ってくるように心坐をすることです

心坐とは普通に生活しながら坐の時の感覚を持ち続け中真
又は囟門に意識を置き続ける
これが練習でくせに成ると努力しないでエネルギーをため続けられるようになるのです

この心坐は私の経験によると最初は中々できません
よほど心がけても心(意識)は外のもの、目に映るものにすぐに引きずられてしまいます

私が心坐を少しは出来るようになってきたかなと思えるようになってきたのは
中真に真中の出来かけているのが写った頃からです
その頃から囟門が何もしていないときでも微かな電流を流されているような感じがするようになって
そうだ心坐をしなければと気が付くようになってからです

つまり中真に真中が出来かけてから心坐が難しくなくなってきたのです

真中は仙人、仏、聖者、神、超能力者になるためには
最初に無くてはならないものだというのはこのことからも言えるのではないでしょうか

ところで行者の末路という言葉を聴いたことがありますか
行者と言う者は人生の最後があまり良くないということです
これは何故かと言うにエネルギーの消費量に対する供給量の不足ではないかと思います

行者は修行によって超能力の様なものを持つ人がありますがそれは
生命エンルギーの消費が激しい、しかし惜しいことにエネルギーの供給の方法を知らない
それでは生命エンルギーの枯渇によって人生の最後が良くないのは当たり前です
運命の良し悪しも生命エンルギーの量に左右されるのですから

ですからこの坐をして途中で超能力が出てきたりして喜んだりするのは考え物ですよ

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                                      2009年06月20日 | 日記

この坐をしてどうして炁と気が入ってくるのかというと
炁は虚の在るところに集まるという性質が有るからです
虚の作り方で私が知っている方法は2つです
一つは気で輪郭を作り中を空にする
もう一つはただ静かにしていること
静かにしていると虚が出来るそのメカニズムは易経で説明すると
静かにするということは山であり艮であります
静かにする、静かにするは 艮、艮(艮為山)
となり中に陰が2つ出来ますこれがいわゆる虚です
とにかく静かにしていると虚が出来るということを知っていれば
まずはOKです
そして虚が出来るとそこに炁が入ってくるということを知ってください
気は意識が向けられた処に集まります

炁が来るとそこは涼しくなり、気が集中すると熱くなります
気を集中しすぎて熱くなるということはあまり良いことではありません
ですから力まずフワット意識するということがお勧めです

1 静かにしていても
2 フワットした意識でボールを作っても
(意識が集まるとそこには後天気が来て殻を作る――つまりボールが出来る)
虚が出来ます

炁気を集めるのは何処に集めるかが重要です(つまり何処の窔に集めるかが)
窔にはその窔独特の役目があります(どの様なことを開始するか、スイッチです)
中真の窔は種を蒔き芽を出させる役目です

植物を育てるのに例えてみると種を蒔かないのに肥料をあげても
何の効果もないでしょう
芽が出て始めて栄養を吸収出来る
ですからまず中真で真人の基となる真中を作ることから始めなければならないのです

次に栄養を与えて生長させるのは上丹、又は妙丹の役目です
妙丹は囟門の所に軽く意識を置くだけで良いようです(私の場合は)
上丹は脳の処で空を作って炁を集めると炁樂仙女さんに聞いているのですが
私には出来ません

私が妙丹に意識をおくようになったのは多分真中がある程度出来て来たのだと思いますが あるとき坐をしていると
意識が持ち上げられるような感覚があって中真にいることが出来ず
上に押し上げられて囟門に連れて行かれてからです

いままで中真という言葉を使ってきましたが
宗教や色々な修養団体で呼び方は千差万別です
道教では 鼎炉、丹房、黄庭  
仏教では 極楽国、浄土
儒教では 赤心
キリスト教では 天堂
イスラム教では 真主
中国の真武教とかでは玄関、玄境とも言うようです
武道では中丹
ヨガではアナハタチャクラでしょうか
自分にしっくり来る呼びかたで呼べばよいと思います

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                                      2009年06月25日 | 日記

炁とは宇宙の根源を為すものであり道の材料です
炁は生命を(心君の主宰があってですが)慈育するという第一主題を持っているようで
その表れであるシステムが道です

道は人、生命が踏み行う路であり規範です
道に外れない生き方を衆生(生物)がすることによって
万物が安寧に生きることが出来ます

では道とは何か 
一言で言えば「生命を慈育するシステム」という事に尽きると私は思います
その表れ、方法が人をより自由にし、どの様な世界でも好みの世界に
生きることが出来るような生命体にしてくれる「坐」であり
又もっと世間一般のことについて言えば人々がボランティアをして
他の人(生命)を助けるということも
生命を慈育するという第一主題を満たすものとしての
道の表現されたものとしての慈であると思います

宇宙の根源を為す炁が道と不可分であると言う事は
私達生命にとってこれ以上幸運なことは無いと言うことです

それって親よりももっと頼りがいがあるってことです
親は経済状態とか、その他仕方が無いことで
子供第一には出来ないことがあるけれど

炁は生命を慈育するのが第一主題であり
その炁を無限に受け入れられる方法が与えられている

それが坐であり、心坐です
その方法は易しい、しかし続けることは難しい
しかし考え方を変えると最初が難しいだけです

癖をつければよい、癖というものは一度付いてしまうと
その後は自動的になって努力感が無い
永遠の生命を得ることが努力なしで出来るなんて
なんか不思議な感じがしませんか

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有無

                                      2009年06月26日 | 日記

この世界の根源をなすものが炁と名ずけられていて
あまり小さくてその形、大きさは在るとも言えない程のもの
しかしそれは厳然として在るもの
その存在が「有」です、又炁はあまりに小さく
その形、大きさは在るとも言えない程のものである為
感覚、計測的には「無」です、これが「有無」です
そしてこの炁が動く、動かないということによって
「動静」が在ります
動静があるために、動したものが陽となり、その相対により陰があります
つまり動静により「陰陽」ができます
陰陽があるので八卦、五行、十干、十二支があります
この地球では運命は八卦、五行、十干、十二支等で占うようです

ところでここでお勧めしている坐は
中真(黄庭、玄関、アナハタ)で静かにしているというものです
そうすると動静が押さえられる

動静は陰陽よりも
次元が上というか、会社で言えば課長の決定を
部長、社長が変更できるように
運命を決定すると言われる八卦、五行、十干、十二支よりも
元にあります、元を抑えてしまえば
その後の決定に影響されないということです

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悪人、利己主義者の皆さんもこの坐で永遠の生命、安心を

                                             2009年06月29日 | 日記

私はここでこの坐という言葉を使ってのは
炁を集め中真(黄庭、玄関、アナハタ)で真中を造る
システムのことです(生きる!意味と方法)で炁樂仙女さんが
何種類かのバージョンを紹介していますし
林木先生(太乙北極真経、太乙正経午集の重要性を教えてくれた恩人です、いつかこの方のことも書こうと思っています)
が教えてくれたバージョンもあります、いま坐をしている人はほぼ全員
林木先生のバージョンで坐をしているようですが私には難しすぎて出来ませんでした

この坐をすると真中(ミニ炁胞)が出来てその後エネルギーに余裕が出来ると
エネルギーが上昇して上丹(泥丸、大体大脳のあたりですね)に性(しょう)が集まります
この性というのはですね天性(てんしょう)であって
仙人、仏、聖者、神、超能力者に成れる性質を与えてくれるものですね
普通に性というと食欲や、性欲、名誉欲、権力欲など
後天の欲望にまみれた性質のことでここで言う性(しょう)とは違います
この性は炁で出来ておりどうしても生命を慈育する性質に成ってしまいます
ですから悪人、利己主義者の皆さんもこの坐をすると
悪人、利己主義者のままでいることが出来にくいわけです
また貯まると軽くなり涼しくなります

性が上丹に集まりある程度、性天(しょうてん)が進むと
(3度に進むと人をもって語るべきにあらずといわれています
つまり仙人、仏、聖者、神、超能力者の初歩の方と言う訳でしょうか)
下丹に命(めい、みょう)が出来るとのこと
この命は気で出来ており貯まると重くなります
まあ下丹の出来た人は昔から腰が据わっているとか言われますからね
重くなると据わるのでしょう

性質が決まると天命が決まり(職業とか自分がしたい事、上手に出来ることですね)
数が決まる(寿命でしょうか)といわれています

私はまだまだ性天(しょうてん)が進むなどという域には至っていない
未熟者ですが真中は出来かけているようです
それで私が気が動くようになるまで20年かかったのが
1年位で出来るかもしれない思ったのがこのブログを書く動機の大きな要素です

それに真中が出来て上丹で炁を集めるところまで行けば後は
炁の自然に任せておく(純任自然)それで仙人、仏、聖者、神、超能力者に
成れるはずだと思ったのも大きな動機ですね

私は世界中の人の10人に1人ぐらいが仙人、仏、聖者、神、超能力者になって
テレポートなんかも普通に出来て
地球に国境なんかが無くなってしまったらよいな、というのが私の願いなのです

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仕事、唯物論者だった私

                                      2009年06月29日 | 日記

私は中学2~3年生までは成績が結構良かったですね
私の中学では高校に進学する生徒は補修授業に
参加しなければならないというのが暗黙の決まり事でしたが
私が補修授業に参加しないといっても先生からも勿論生徒からも
何も言われないくらいの成績でした

しかし成績が良かったのは中学までですね
中学ぐらいまでは真面目に勉強すれば誰でも一応は良い成績が取れるものです

私はそれまでなるべく将来の職業のことは考えない様にして来ましたが
父親が高校は商業科に行けというので実家の製菓の仕事の後を継げと言う事だなと思ったわけです
でもあまり気が向きませんでした
では何がしたいのかというとコレがしたいというものが無かったのです
それで本当に何がしたいか真剣に考える必要に迫られたわけです
何もしたいことがなかったのです、困った、本当に困りました

何か仕事をして稼ぐのは当たり前と思っていましたから
やりたい職業がないというのは人間として失格だと思っていました

でも本当に命がけでも悔いることの無い職業でないとイヤダと思っていたことも確かなのです
やはりどう考えても就きたい職業が見つからない、人間として出来損ないだと思いましたね

そうこうしているうちに人間って何のために生まれてきたんだという疑問が湧いてきたのです
実はこの疑問に真剣に向き合うとヤバイと潜在意識で判っていましたので
極力考えないようにしていたのがここでとうとう向き合わざるをえませんでした

私の祖母は親切で面倒見の良い人だったらしいのですが宗教が嫌いでした
きっと宗教を利用してお金を騙し取るような人を見たことがあるのでしょう

その影響で私も宗教が大嫌いでした、当然唯物論者に育ちました
唯物論なので当然死ねば全ては終わりだと思っていました
ですからどんな職業について、どんなに立派なことをしても死ねば終わり
偉大な業績が残っても自分が死ねば何の関係も無いと思っていて
何をしても結局人間は死ぬのだから自分にとっては永遠のものなど無い

なんと詰まらないことだとしか思えない
こうなって来るともう勉強でも仕事でも物事をする意欲がおこらないのです
それで高校には入学できましたが成績は落ちる一方で
大学は商業高校から進学する生徒が少ないので推薦入学で入れてもらいましたが
まともにテストを受けていたらきっと落とされていたことでしょう

高校の時は自宅から通っていましたからまだ良かったのですが
大学は下宿だったのでもう歯止めが利きません、2年生になったときには
もう立派な引きこもりなってしまいました、3年には進学できませんでした
2年生を2回やることになりましたが、何とか空元気を出して
卒業にまでこぎつけました、成績なんて散々なものです

下宿では自分はどうしようもない人間の出来損ないだ
穀潰しだと落ち込んでいました
その頃実家は家業の製菓業を止め
別の職業を父母が始めていて収入が劇的に少なくなっていたのに
私に仕送りをしていてくれましたからよけいに申し訳なく思いそれが又自分を追い込んでゆく
そんな日々でした
死ぬ勇気(?)も無かったので生まれてきた勢いで
仕方なく生き恥をさらして生きているというような

何とか自分を取り戻したのは就職活動で「生長の家」に出合ってからです
生命の実相という谷口雅春氏の本を読んでやっと生き返った思いでした
その有難さは口に言い表せない程で天にも登るようなうれしさでしたね
そんな訳で今でも生長の家には懐かしさと恩義を感じています

カチカチの唯物論者がコロッと唯心論者に変わってしまいました
しかし理念、思想は立派でしたがどうしてその結果を導き出すかその方法が
私には理解できませんでした、又言われたとおりやっても
仙人、仏、聖者、神、超能力者には成れそうも無いと思い又行きづまってしまいましたが
今度は桐山密教に出合いました
もしかしたらこれで仙人、仏、聖者、神、超能力者になれるかな?と

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大嶽山荘


                                      2009年07月04日 | 日記

東京の西、青梅市から御岳神社を経由して約1時間半のところに大嶽山荘が在りました
ここで笹目仙人にも出会ったし、林木先生にも出会い
炁樂仙女さんにも出会いました、約5年位住んでいました
大嶽の山を降りてからはウィッピー文明の創始者 
五井野 正 博士にもお会いしたことがあります
皆同じ人間という範ちゅうに入るのだろうか思われるような人たちばかりでした

笹目仙人は結構お茶目なところが有ったり、腕白小僧のような性格でした
今にして思えば私を道院に導いてくれた恩人です
この人がいなかったら日本の道院は現在まで存続できたかどうか疑問です
この大嶽山荘に桐山密教をしていた人がいてその縁で山荘に遊びに行くようになりました。
大変静かな所でしかも東京の夜景が物凄くきれいでした
たびたび遊びに行くうちに誘われて仕事を止めて住み着いてしまいました
たまたまそこの主人が笹目仙人だったというわけ

笹目仙人が道院というのをやっていて君も道院に求修しないかね
という訳で宗教はどれも行く着くところは一緒だし宗教は皆仲良くすべきだと思っていたので
マア、イイカナというような軽い気持ちで道院に入ったわけです

ここで紹介した坐は 
炁樂仙女さんの(生きる!意味と方法)で紹介している道院の坐の中の内外バージョン
それでもまた難しいと言う私に考えてくれた内外の内だけバージョンでしょうか
マアそれでも真中が写真に写っていますから坐のし方としては間違っていないのですが
古い修方の方がたには怒られるかもしれません(道院の正い坐ではないと)
しかしこれが私が出来た唯一の坐です
一番ローリターンの坐のようですが一番ローリスクの坐です

追記 残念なことですが大嶽山荘は現在活動しておりません
昨年行ってみましたが 小屋番の人がいるだけで道の話は出来ない状態でした

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林木(りんぼく、リンムー)先生

                                              2009年07月12日 | 日記

林木先生(台湾 孝雄の人)に出会ったのは真夏 
山小屋の建て増しをするので荷揚げをしているころでした 
先生に出会っても最初は普通のお年よりに会ったように特に印象深くはありませんでした 
お会いして荷物を預かり後から他の荷物と一緒に背負って山道を登り始めましたが
その日は遅くなって山荘の近くまで来たころにはもう暗くなり始めて 
眼下の東京は夜景が綺麗で夏の花火が何箇所でも打ち上げられていまして 
空では珍しく流星も沢山見られました 
その日の事が今でも印象に残っているのは 
流星が爆発を起こして野球のボールくらいの大きさの花火のように見えて驚いたからです 

先生は一見 何処にでもいる普通のお年寄りにしか見えなかったので
この流星花火が無かったら会った日のことは多分忘れてしまっていたことでしょう
次の日 日の出を拝んでいたら
「違いますよっ 太陽に感謝されルンですよ」と言われてしまったので
開いた口がふさがらんかったじゃ 
この爺さん何言うんじゃ! 
そして夜になると部屋に遊びにオイデ という訳で其の時山荘にいた若者達
私も入れて6名いたかな? 
部屋に行ったら道の話をし始めた、中々終わらない、まだ終わらない! 
随分長いこと話をしてくれた気がする、様な気がする 
とにかく其の時は荷揚げで疲れているときだったので参った 

笹目仙人の林木先生に対する様子から大切な客人だと思われるので 
おろそかには出来ないし 
その次の日には「遊びにオイデ」と言われて
行ったのは私一人になってシマッタ、 ミンナ逃げんなよ! 
それでも私が部屋に行ったのは何か良く解からないけど 
物凄い事言っているって 自分の何処かわからないところが言うんだよね!? 
不思議だ? 
とにかく疲れて体フラフラだし 何言っているか良く解からないんだけど 
絶対に部屋へ行かなければならないって思いこんじゃっているから
暫くはもう大変 毎日フラフラ
其の内に遅くなると先生の奥様がもう遅いからと言って
先生を止めてくださったから助かったけど*?!:・、。

或るときヤスリが無いかと聞かれたので何に使うヤスリですかと言うと 
歯を削ると言うことだった ヤスリで自分の歯を削るなんて無茶のことする人だなと思って
「如何してそのんなことをするのですか?」って聞いたら 
歯が生えて八重歯になって頬肉を傷つけて困るんだと 
エ―ッ年寄りが歯が生えてくる訳ネージャンと思ったんだけど 
生えてくるものは仕方がない、生えて来るんだから! 
仕方が無いからヤスリ持ってった

後で聞いたら癌にもなった事が有るとのことで
其の時には医者がもう好きなことして生きなさいって見放されちゃったらしい
そしたらユウトクケイっていう人が道院に紹介してくれて 
それから坐をしたとのこと、そのうち癌が治って痔も治った 
交通事故で7~8メートル飛ばされたけど心坐していたら怪我も無かったと 
何?それってもう人間じゃネーンジャネーノって思ったら
道院の神様もあんた人間じゃなくなったよ!
(真人になった)て言われたそうな
心坐は1日24時間しつづけたそうな、夢も見てはいけないって言っていた
何でそんなことが出来ルンかと思ったら癌にもなって医者に見離されたこともあるけど
もうやりたい事をやり尽したからだって言ってた
それで心坐に打ち込めたんだと

それから中真を見ていると
真中が太陽よりもマブシク光るようになったので心坐がしやすくなったそうな
奥様はミス台湾で若い頃は球技という球技はなんでもやったと
日本に野球の選抜選手として来たこともあったそうな 
銀行に勤めてからは毎日酒が飲みたい、それもミンナで飲みたい 
それで遅れている人の仕事をいつも手伝った
そしたら全部の仕事が良く分かってしまってどんな仕事もできるようになった
「トントンビョウシですよ」というわけで
副頭取(台湾人は規則で頭取にはなれなかった)にまでなった。

或る時飲みに行ったら生意気な芸者がいて
近頃の男はダラシナイ酒も満足に飲めずヨワッピーだ 
みたいな事を言うんで何を言うかそれなら酒の飲み比べだということで始めたんだそうな 
二人で清酒6合入りのビンを持ってこさせて乾杯ではなく 
乾ビンといってビンから飲み始めたんだとのこと 
どっちも強くてとうとう 1斗4升4合まで飲んだ 
そこで芸者が参りましたと言って吐いて勝負が決まったけど
自分も気持ち悪くなって吐きそうになってそこから逃げ出した
そんなメチャメチャなことヤってたらしい 
それでやりたいことやりつくしたって
それから病気で痩せてたのも良かったんじゃないかな 
痩せてると気が通り易い事は私の経験上からも判るから

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林木(りんぼく、リンムー)先生 続き

                                     2009年07月16日 | 日記

先生が口癖のように言われていたことに 
「無形に於いて萬劫を化す」という言葉が有ります 
劫(災い、事故、危険など 人、生命にマイナスになるエネルギー)をカタチに現れるまえに 
無形のうちに化す=無形のうちに消す「無形に萬劫を化す」
これは道院の重要な仕事であり修養でもある、その方法はどうするかと言うと合誦ということをする 
以前中国では黄河の氾濫を合誦で治めていた時もあったそうです 
又中国が共産党に支配される前に太乙正経午集を合誦するようにとの神界からの命令もあったそうですが 
太乙正経午集を合誦するには12時間も掛かるので当時の道院の指導者達は1時間半ですむ太乙北極真経の合誦でお茶をにごしてしまったそうです 
先生はそれを残念がっていました 
太乙正経午集を合誦していれば中国は共産党国家にはならなかたろうにと

それからよく言っていたのに「幻影デスヨ」って言っていました 
綺麗な景色を見ても「幻影デスヨ」 花火(東京中の)を見ても「幻影デスヨ」という具合! 
まあやりたいことをやり尽した人だから言えることでもあると思いますけれど 
今思うと「幻影=短い時間の内だけの事」と言っていた様な気もします

ある時 「頭がフラフラします、気分も悪くて吐き気もシマス」と言って来た事があります 
私も同じことが有ったのですぐに「先生それはコタツの豆炭の不完全燃焼による一酸化炭素中毒ですよ、一日位は治らないですよ」と言うと 
部屋に帰ってゆかれましたが暫くすると又来られて「ナオリマシタ」というので そんな馬鹿な! 
直るのが早すぎると思って聞いてみると 
「鬆挐をシマシタ、清濁を分離スするカラネ 
毒素は便にして出しマシタヨ」 
私はなんと便利で凄いことの出来る人だろうとビックリ仰天でした 

この先生が教えてくれる方法が 
説かれている経典が太乙北極真経、太乙正経午集で道院の経典なのだと言う事を初めて聞いて 
付き合いみたいな気分で入った道院を真剣に学ぶ気持ちになりました

合誦とは    
合誦(太乙北極真経、太乙正経午集を大勢で声に出して読み上げること 
これには条件があって合誦が出来るのは道院でだけ 
しかも6名以上でなければ許されない)

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和気之才 是万堂之喜(わきのさい これまんどうのよろこび)

                                      2009年08月07日 | 日記

台湾の台北に崇善佛堂という済仏さんをお祭りするお堂があります 
ここでは一般信者の悩みや相談事に済仏さんの神霊が降られて絵を描いてお答えなされています 
私も一度拝見したことがありますが
一枚の絵を描くのに約2~3分で一回に20~30枚くらい書かれていたようです 
その当時は李先生というお医者さんが神霊を受けられて
利き腕とは違う左手で筆をとり物凄い速さで描かれていました 
日本では書初め用に使う大きさの紙に流れるように描いてゆき一瞬も止まらないように書き進められ 
その李先生を補佐する人達が 
筆を洗い墨を継ぎ足し 絵の具を溶かし 
ズーッと描き続けられるようにしていて本当にその連携作業は滑らかで 
その作業全体が一人の人が全員の体を使って行っているような感じです 
描き終わると次のところではその絵を解説して 
相談者に答えています 
本当に見事なものでした

さてよく大嶽に行くようになると 
その当時笹目仙人のお世話をしていたK女史が
私を大嶽に招いて良いものかどうかを崇善佛堂の済仏さんにおうかがいをたてたのですね 
それで送られてきた絵が 
左寄りに大きな花瓶にたしか牡丹だったと思うのですが描かれていて 
その賛に和気之才 是万堂之喜と書いてあったのです 
つまり此の者は和の才能があってこれがおれば 
周り中が楽しくなるというような意味のようです 
それで安心して私を仲間に誘ったということです

済仏さんとは昔の中国のお坊さんで
中国では 日本の良寛さんと一休さんを足して2で割らずに足しっぱなし位の人気者のお坊さんらしいです 
一般にはチーフーと呼ばれているようです

和気之才 是万堂之喜の画は実家に置いてあって手元に在りませんので別の画を見本にします


済仏画

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酒、煙草、大麻、覚醒剤? もっと気持ち良い事 続くのあります!

                                      2009年08月10日 | 日記

大麻、覚醒剤など芸能界や若者の間で流行りつつあるようですが  
そのことは不思議ではないと思います 
何故なら気持ち良い事や 力を増幅したり 
精神の高揚感が得られたりすることを求めるのは 
人としてごく普通の成り行きだと思います 

ただ 大麻、覚醒剤などは同じ効果が長く続かないようですね 
もっと刺激が強くないと 同じ気持ち良さを感じられない(慣れが出来てしまうのでしょう) 
その為 もっと効果のある物、もっと、もっと、となって
終には体に強い負担のかかる薬にまで手を出してしまう(経済的にも大変ですしね) 
そのことを恐れて 世界中のほとんどの国で禁止にされているのだと思います 

しかし昔は宗教や政治、祭事で公然と使われていたはずです 
その頃一般に使わせなかったのは特権階級が独占する為だったようです

昔は宗教を非難する言葉に 宗教は麻薬だ というのが在りましたが 
私が思うに 麻薬にまで喩えられる様な宗教は 
相当実用に耐える宗教だと逆に評価したいくらいです 
麻薬ぐらい気持ち良くて体が治癒されるような宗教であれば 
もしかしたら気が良く回るようになって 
霊も回復しているのかもしれないですから
白隠禅師の 軟酥の法などというのはたいしたものだと思います でも 坊さんのように 
ある意味プロである人々さえ中々 気が動き体が治癒されるような処までは行けないのです 

どうしてかというと ほとんどの修養法は肉体の有る事の有利さを活かせていないからなのです 
手のひらを膝に付けるという方法は 
心臓の火のエネルギーと腎臓の水のエネルギーが活用できて車で言えば 
ターボ全開位の力を発揮するのです 
座禅で指導者が 警策を持って見守っているのは
居眠りを 注意するのが主なものだと思います 
もし手のひらを膝に付けて其の所で心臓の鼓動を感じるようならば眠気は出ません

いつまでも気持ちよくて安全なものが欲しかったら 
ここで紹介している坐をお勧めします

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化万劫於無形(かばんごうおむけい) 真のボランティア

                                      2009年08月14日 | 日記

1976年 日本紅卍字月刊の編集後記に

○最近の天変地異による災害に対し、今月号の訓分では、その由って来る所を懇切に解明されていますが、

○かって昔の済仏訓にも「災劫が有形に現れるときは、多くの人が驚き恐れるが、それが無形に蔵されているときは皆漠然としてうかうかしている。たとえ提起されたとしても、それが未だ現れないので半信半疑である、これを無形に化しても、更に証拠となるものがないので、これを老人のつまらぬ迷信として片付けてしまう」

○「故に曲突徙薪(きょくとつししん、煙突を曲げ、薪を安全な場所に移す、即ち災害を未然に防ぐこと)では功とならず、焦頭爛額(しょうとうらんがく、頭を焦がし額を焼きさんざんなめにあう、即ち災害がすでに発生し痛い目にあうこと)した者が最上の上客としてもてなされるのである」と

○この諺には故事来歴があって、漢書では次のように伝えています。ある客人がご主人の自宅を尋ねた、そこの台所でカマドの火の出口が真直ぐで、傍に薪が積まれているのを見て、その客人は主人に対して、火の出口を外に曲げそらせ、早急に薪を安全な場所に移すようにと、さもなければ火災が発生するであろうと忠告したが、主人は黙したまま応じなかった。ある日にわかにその家で火災が起きた、鄰り近所の人たちは皆防火に努めたので、幸いにして全焼に至らずして火を消し止めることができた。

○そこで主人は牛を殺し酒宴をはって大盤振る舞いをして、鄰人の協力に謝した。その時頭を焦がし額を焼いた者を最高の上座にすえて、その功によって座席の順位を定めた、先に煙突を外に曲げるよう忠告した客人は全然問題にされなかったのです。

○そこである人が主人にいった、先に客人の言を聞いておれば、牛を殺したり酒を振舞うこともなく、また火災を未然に防ぐことができたのです。いま功を論ずるのであれば、その客人こそ最高の賓客として招請しなければなりませんと、

○曲突徙薪の者には恩沢がなく、焦頭爛額の者を最上の上客となすのですかと、そこで主人ははじめて目をさましてその客人を招待したとのことです。
そこで済仏さんも「一般の人情とか気持ちとはこのようなんものである。しかし修方はそうではないのである。無形の運化を以って体となし、災患を救済することを以て用となし、詳和善気を以て、劫氛(ごうふん)の厲を化するのである」と、この意味からも奮って災劫弭化の誦経に参加願い上げます。

ここで言われていることを簡単に言えば 災害がまだ現れる前に(無形のうちに)解消してしまうことが 真のボランティアであるということで それには道院の経典の合誦(6名以上で声をあげて読むこと)に参加して欲しいということを言っています

ボランティアといっても実は合誦をすると御褒美が出てしまうのです 私の運命が劇的に好転したのはこの合誦のお陰だったのです このお話はまたべつの時にいたします

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只管打坐(しかんたざ)

                                      2009年08月16日 | 日記

只管打坐 この方法で仏になろう 仏道を成しようと 
座禅をしても私の知っていることから考察すれば 
ほとんど不可能ではないかと思います

何故なら重要なことが2つほど足りない 
1、窔が使われていない 
2、肉体を持つその有利さが生かされていない

中真(黄庭、玄関)の窔をつかわないと真中(ミニ炁胞、中丹)が出来ない 
そしてこれはまぐれでは出来ない(時間がかかる)
手のひらと膝頭をつけて 心臓の脈拍が聞こえるところで 
肉体の持つ心と腎のエネルギーを利用すれば何倍もの速さで エネルギーが活用できるし眠気も出ない

人は真中が無いと仏、神、仙人、聖者、超人、真人になれないのです

このブログで最初に紹介した方法で気が動くのが感じられる様になると 
次に中真から押し上げられるような感じで囟門に自然に行かされます 
そこで虚を作る、(一番簡単な方法は其の所で静かにしていること)

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大嶽での誦経

                                      2009年08月21日 | 日記

大嶽には静かに瞑想が出来そうなところだなと思って置いてもらうつもりで行ったのですが 
笹目仙人物凄く活動的で山荘の増築、改築で中々 静かな瞑想どころではありませんでした 
そこに林木先生がいらっしゃって道院の修養の奥深さを教えてくださいました 
驚いたのは 道院の経典を皆で声をそろえて読むだけで 
世の中の劫が無形のうちに無くすることが出来るということでした 

私は以前 引きこもりで生きているだけで地球の負担になるだけだが 
死ぬ勇気もないので惰性で生きているというような長い真っ暗闇の青春をおくっていました
その時は経済的に大変だった父母から 仕送りをしてもらっていました 最低の人間です 
大嶽でのこの当時思っていたことは 
父母から仕送りしてもらっていたけれども 
父母は世間から生かされていた 私はこれからも経済的には 
父母、世間に恩返しが出来ないだろうけれども何らかの形で恩返しをしなければならない 
と心に思っていました

それで道院の経典を皆で声をそろえて読むだけで 
世の中の劫が無形のうちに無くすることが出来るということは願ってもないような 
ピッタリのことなので 合誦出来ることが嬉しかったです 

ただ全員(笹目仙人、K女子と婚約者、若者7名=男4名、女3名)
「笹目仙人を除いて」 初めてのことですので中々上手に読むことは出来ませんでした 
それで最初は大分精神的に 大変でした 
声も大きな声で迫力が有るほうが良いというものでした

現在のわたしの誦経の声の出し方には違う考えを持っています 
それは炁楽仙女さんに
高雄の林木先生方が誦経していた仲間に入れて頂いた時に 
皆さんが静かな声でフワ フワッと詠んでいた 
それが気持ちよくて忘れられないというのを聞いてそれが良さそうだなと思うようになったのです 
経典を読みながら理解してゆくことを思うと 
静かに読むほうが理にかなっているような気がします
坐をしているように手のひらを膝に付けて坐のときの感覚を思い出しながら 
静かに読んで中真(中丹、黄庭)に
ドームのよう球を思いそこに声を響かせていたことがあります 
そしたら何ともいえない 
全身に甘いしびれる様な気持ち良さを感じたことがあります 
誦経(太乙北極真経=約1時間30分)の間中もう気持ちよくて、気持ちよくて!

誦経は坐にもなります 
坐にしないなんて勿体なくて考えられないです

去年の秋久しぶりに大嶽山荘に行ってみましたが番人が一人居るだけで 
道の話も出来ない状態でした

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生と死の狭間で

                                      2009年08月31日 | 日記

趣味人倶楽部の質問です
次に書いてあるのは私の考えです

人は皆 死ぬものと 
それを絶対の真理のように
疑わないようですが 仏教では
解脱ということが 言われますよね 解脱って 
(ウィイペディアではインド一般の教えでは、輪廻からの離脱であるからむしろ空相的世界の意味が強く)
なんて書いてありますけれど
肉体と精神は地続きって(宇宙と地続きかな?)言いました?
精神って肉体の波動の細かいほうの 肉体でして
波動の荒い肉体は 100年そこそこで使えなくなりますが
精神という波動の細かいほうの肉体は(肉体と言うのも変ですが)
残ると言うことです そして又波動の荒い肉体をもって
この世界に現れることが輪廻というものだと
ただこのとき精神体にエネルギーが足りないと記憶の継続性がない

そこで本当の解脱というものは精神体(霊ともいうようですが)に
エネルギーを充満させて 

波動の荒い肉体が使えなくなっても
精神体だけで生活するか 
必要に応じてこの世界記憶の継続性を持ったまま
表れることができる生命体にまでなる
又はその荒い波動の肉体にも十分なエネルギーを
満たして(現在の肉体とあまり変らない、もっとも若く自分の必要とする形、とかに変えることは可能だと思いますが)
自分が望む、必要とするだけ生きる
(例えこの物質宇宙の寿命が来ても、このとき波動の荒いほうの肉体はどうなるのかは不明ですが
霊の方は次の物質宇宙に移行可能と思います)

つまり自分の輪廻をコントロールすることだと思います

人は
神 仏 仙人 になるのが生まれてきた目的だと思いますね
輪廻より解脱できなければ エネルギーを消耗して 飛散する
最後は消滅というか 他の生命体のエネルギーに取り込まれる

幸い私は現実的な方法で
エネルギーを満たす方法を教えてくれる経典に出会いましたが

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道院って?

                                      2009年09月04日 | 日記

最近道院のことを調べていて私のブログに出会い
趣味人倶楽部に参加したという人が
私の趣味人倶楽部のプロフィール欄のところに来て
道院のことをいろいろ教えてほしい
求修(道院に入り修養を願いでること)したい
というので

私が知っていること
思いつくままに書いてみます

道院は宇宙の最高学府とのこと(玄学)

道院はフーチで宗教ではないとの神意で
宗教法人として届け出をすることを
許されていません 

宗教を救うとのこと 
全ての宗教の修養法意味を理解し 
その修養の本来の目的を解るように
アドバイスしその宗教の発展をたすけます

道院は 
主神のもと五教の教祖を祭っています
五教とは 道教、仏教、回教、キリスト教、儒教です

道院内では政治を語ることを禁止されています

男女は別の部屋で坐をしなければなりません
気の回り方が男は後ろから前に
女は前から後ろに回ります
物理的意味もあるようです

旧暦の1日、15日に太乙北極真経を合誦します
世界的危機の時等は太乙正経午集を合誦します
(未然に危機を回避するためです)

修養その他強制されることはありません

寄付を強要されることはありません
(その為今は殆どさびれているという感じです)
お金を集めようと まるで考えていなくて下手です

炁樂仙女さんが10年以上研究し 参考解説をつけて

太乙正経午集が道院に寄贈されましたが
修方(道名を持って修養は 無料でコピーが出来るよう手配する
と責任者の人から 聞いています)

入会金1000円、年会費12000円、家族会員年会費6000円
寄付金を求めること無し

これでどうやって銀座で続けていけるのか ???
維持会費としてすすんで寄付をする人はいるようですが
少数です

私も地方会員で遠くに住んでいるので
1年に数回しか行けません

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ブログの主旨

                                      2009年09月05日 | 日記

このブログを書く気になったのは

以前 真面目に解脱を目指して修養していた人が
オーム真理教に入信し 熱心であったが故に
罪を犯し 死刑の求刑をされるというようなことを
目の当たりにし

あれはもう一人の私である
ホンの一瞬の気持ちの動きの違い
行動の違いで
ああなっていたのは私だ

そう思うとあの人達の無念さ 悲しさ 悔しさは
歯軋りをする思いだった
思わず 涙が溢れそうになったこともある

このような気持ちも動機の大きな一つです

だから趣味人倶楽部に入って
この人は素晴らしい 良い本を紹介したい
又私の体験したことの 成果だけをあげたい
こう思うと
ネットに入って間もないので
ついつい一生懸命になり 自分がコントロールできなくなり
偉そうなもの言いになったり
力みかえってしまう
今後このようなことが無いよう気をつけますので
迷惑をお掛けした方々にはお詫びをいたします

本当にオームに入信していた人ほどの熱心さがあれば
私の体験したことの無駄な時間を省いてあげられて

4~5年位で真人、仏、神、仙人の中に加わることが出来る
勿論私を追い越して
何故かと言うに私は 独りを慎むことが出来ず
大事な修養の体を損なってしまったから
それでも少しずつ進歩しているのはわかる
それは道院の虚を作り炁を入れる方法が功を奏している
それが解る

体が壊れていなくて オームに入っていたような若い人なら
私などすぐに追い越して行ける

それを確信するのは
炁樂仙女さんの「生きる!意味と方法」の校正をお手伝いし
有、無、空、虚、陰陽など
道院の経典では理解が絶対必要であるが
理解済みとして 説明されていない言葉を
解りやすく解説してくれているのを読み

そのあとで炁樂仙女さんの
道院の最高経典 「太乙正経午集」日訳及び参考解説を読んで
(炁樂仙女さんは遠慮して参考解説といっていますが 
世界中で果たして誰がこれほどの解説が出来るか――これは密かな私の想いです)

これで
ごく普通の才能の人でも真人、仏、神、仙人になれる
道がついたと思いました 

ですから
「来年は次の翻訳は急がず
ゆっくり 丁寧な翻訳をする
余裕の時間にブログで
皆の疑問に答えるつもりだからブログの仕方を
研究して」

という炁樂仙女さんの言葉で
ブログを勉強し始めたのですが
一番良いのは自分で経験することだ
と思い 思い切ってブログを始めました

私はこのブログで坐について経験したことや
こうすれば楽に坐が出来る
こういう失敗をしたから
その失敗をしないための工夫など
坐に良いと思うことは知っている限り書いてきているし
思いつく限り書いてゆくつもりでいます

私がブログを始めたのは
つい最近まで炁樂仙女さんは知りませんでした

道院の事務局も当然知りません
私が個人的に書いているだけですから
もし道院の公式見解に反するようなことがあっても
道院に責任は有りません

元々私はあまり道院にも通わない
田舎の1修方ですから

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理論抜き 120歳まで若く健康でいられる方法

                                      2009年09月08日 | 日記

shuutaさん 

コメント有難うございます。120歳迄元気に生きるのが希望なので、今後参考にさせていただきます。ただ単純系な私には、ちょっと文章が難しく、十分理解出来ないかも知れません。出来るだけシンプルにお願いします。

この方のおかげで私は気づきました
私は理論や方法を紹介したくてこのブログを書いているわけではなかったと
皆さんが実行して 健康で幸せになって欲しいのだと

それで理論一切抜きのシンプルな方法を書いてみました

自分が一番気持ちの良い部屋で
気持ちの良い温度湿度(出来る人は)で
照明をを押さえめに

目はつぶらず 少しあけます 座禅の要領です

男女は別の部屋にするか 別の時間にしてください
気の周りが逆で ぶつかる為 です

膝が直角に近くなる椅子に坐ってください
膝に手のひらを付けます 
手のひらに心臓の鼓動が 感じられる様な気がするところに 付けてください
(普通は手のひらの くぼんだところと 膝のお皿の真ん中、
私の場合は 薬指の付け根と 膝のお皿の真ん中、
人によって少し場所が違うかもしれません)

みぞおちより少し上に(私のプロフィールの胸に写っている
メダルの様なもの くらいの大きさの)中が中空のボールをイメージするか
出来なければ(私も出来ません)其の所に軽く意識を置いて
静かにしています 
心臓の鼓動に軽く注意をむけているのも良い方法だと思います

後は何もしないで楽にしていてください

最初は15~16分 なれたら少しずつ時間を長くします
1年を目安に1時間ぐらい坐れるようになると
気が動くのが感じられるようになります

この時点で 世界最高の気功師が貴方の専属になったのも同じです
この気功師は 貴方の全ての病を治していきます
貴方を最適の健康状態、肉体状態にしていきます

静かにしていて何もしないと言うことが重要です

後は なるべくストレスの無い生活をしてください

続けることが重要です 坐を出来なかった時は 次の日に二回すれば 続けたことになります

1週間も2週間も途切れさせるというようなことは良くありません

でもそのようなことが有っても諦めないで また始めてください
全て積み上げた物が無くなってしまうと言うことではないですから

疑問など有りましたら コメントに書いてください
私の解かる限り また解らないところは炁樂仙女さんに聞いて
お答えします

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楽しいこと、気持ちよいことが奇跡を起こす

                                      2009年09月11日 | 日記

ザ・ベストハウス123 
で幼児の時の病気(髄膜炎後水頭症)で19歳まで歩くことが出来ず
這っていた人が
トランポリンと音楽の生演奏を使う 
リハビリ療法で歩けるようになった人を見ました
知能は2歳以上にはならないと
医師の宣告を受けていたと言うことです

脳に水のたまる病気で前頭葉が傷つき
何かをする意欲というものが
起こらないはずの脳になっていた人だとのこと

しかし このトランンポリンと音楽の生演奏療法は
この人にはよほどあっていたか
楽しかったようで
この療法を始めて半年で立ち上がり
その1ヶ月後歩けるようになった
また 意欲というものが起こらないはずなのに
画を描く意欲が出てきたと言うことで
その画は綺麗な画でした

この音楽運動療法を考案したに
野田 憭 医学博士(大阪芸術大学教授)の話では
自分の動きが音楽に連動し
心地よくなる脳内ホルモンのドーパミンが分泌し
脳全体を刺激し新たな神経ネットワークの形成を促進し
このような普通では
医学界の奇跡と言われるようなことが
あり得るのだということでした

この話とは別になりますが
修養も 面白く楽しく 快感を得ながら出来たら
最高だと思うのですね

そんなのないよ
といわれるかもしれませんが

実はここで紹介している坐、合誦というのは
面白くて 楽しくて 快感が得られると言う方法なのです

そんな馬鹿な!
と思うのは無理もありませんが
本当なのです

ソリャー 最初からではないですよ
私は気が動くようになるまでに1年位掛かる
とよく言いますが

気が動く頃になると
私の言っていることが解かります

坐をしているとお腹がグーグーいったり
ゲップ(これはちょっとね)が出たり ガス(これもねー)が出たり
体が凄く活性化してくるのが解かります
面白いですよ!
自分の体がまるで新しい発見の連続みたいです

其のうちに体が痛んでいた人は突然
坐中に痛くなってきたりします
とにかく中途半端に直ったままにしておくと言うことがなくて
その痛んでいるところを 新品にしてしまうようです

これは心配することは有りません
悪くなるのと違って

坐をしているときだけ痛くなるのですぐ解かります
痛くていやだなと思ったら
坐を止めればすぐ痛みは無くなりますから

でも新品に直してもらうと後が気持ちいいですよ
坐をして気が通っている間中
弱い電気が来ているような感覚が有って
物凄く気持ちいーんです!!

合誦だって坐の要領で
同じ感覚を思い出すような感じですると
1時間半 
または12時間(途中休みながらですけれど)
快感を得ながら出来ると言うわけです

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理論抜き 超簡単な修養

                                      2009年09月17日 | 日記

修養とは超簡単に言えば
自分の体に先天のき(炁)をあつめることです
これで終わり

先天のき(炁)が集まれば
健康になり 長生きし 
性質が良くなり
天命を知り
頭が良くなり
運が良くなり

解脱して仏にもなれるし、神にもなれる、仙人にもなれる、真人にもなれるし
超能力者にもなれる

先天のき(炁)を集める方法が
理論抜き 120歳まで若く健康で入られる方法に書いてあることです
この方法をすれば
雷を避けもするし 簡単な方法ですが
万能でもあるのです

1年もこれを続けると体の中で気が動くのを感じるようになり
私のプロフィールの写真の胸に写っているようなメダルが出来ることでしょう

そうなると坐をすると気持ちよくて
もう何とかして 
坐の時間を見つけ出そうとするので
アルコール依存症者を笑えなくなります

でも坐に熱中しても大丈夫
大麻やアルコール煙草と違って
良い事だけですから

理論や注意は気が向いたら読んでください
先天のき(炁)があつまって頭が良くなってからでも充分です

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修養の仕上げって? 無為自然、般若波羅蜜多、心坐

                                      2009年09月24日 | 日記

無為自然、般若波羅蜜多
が全ての修養の最終段階だと思います
では無為自然、般若波羅蜜多
とはどの様にすればよいかと言うことは
何処にも書いてないのですね

口伝とか相伝などと言うことが多いようです

ここでは簡単に答えを言います

心坐が出来れば
無為自然、般若波羅蜜多ができていますと

心坐はすぐには出来なくていいです

ところで心坐はどの様にするのかというと
形坐が椅子に坐ってするのに対して

形坐をしているその感覚を保ちつつ日常を生活する
それだけです

1年位坐を続けて気が動くのが感じられるようになると
体が心坐に適した状態になってきます

つまり体が心坐しませんかって
言ってくるようになるのです

どういうことかというと
私の場合では頭の天辺
「囟門、赤ちゃんの時頭の天辺でピクピクしている処」
が少し静かにしているだけで
ピリピリ、ジワット感じてきて
そうだ心坐しようって気が付くのです
そのたびに心坐をリセットする
そうして最後には無意識にリセットするようになり
心坐が身についてくるようになります

また少し静かにしていると
先天の気(炁)入ってくる轟音がして
教えてもらえる人もいます

また虚室生白といって胸のところに
太陽の光よりも眩しい光が感じられて
教えてもらえる人もいます
「林木先生などはこのタイプ」

坐の仕方や気質の違いなどによって
体がどの様に知らせてくるかは
変わってくるようです

でも気が動き始めるようになると
体が教えてくれるようになるのは
間違いないことだと思います

安心していてください

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「学問」とはなんぞや?  天命を知ること・・・なんちゃって*

                                      2009年10月01日 | 日記

お気軽Q&Aに「学問」とはなんぞや?と質問がありましたので
私は 天命を知ること・・・なんちゃって*
と回答しましたが別にふざけているわけではありません
孔子さんも40にして天命を知ると言われたように
天命を知れば後は学習の問題であり
使命感があればいろいろな技術を身につけたり
必要なことを覚えるのは比較的たやすいことだと思います
要はその人の物事に対する 
エネルギーがどの程度かと言うことに尽きると思います
その点 使命感と言うような物は凄いエネルギーを
与えてくれると思います
ただ天命を知るということを
どのようにして成し遂げるかが問題ですが
好きこそ物の上手なりというように
大好きなことをしていって これが天命だと
感じられる様になった人もいるかも知れません
これは素晴らしいことだと思います
学問から孔子さんのように見つける人もいるかも知れません
これも素晴らしいことだと思います

しかし天命を知るまでに時間がかかりすぎて
結局たどり着けない人も多いことでしょう

天命を知る早道が有ります
坐をすることです
物理的に先天の気(炁)が入ってきて
充分なレベルまで達すると
上丹の所に性が集まり
(これが集まると天性・・・と言って子供が井戸端で遊んでいて落ちそうになったら思わず安全なところに非難させるということを自動的にしてしまうというような性質)
それと連動して下丹の所に命(めい・・しょう)が集まります
この命が充分集まると天命を自動的に知ることが出来る状態に成れるのです
不思議な話のようですが本当のことです
坐やってみますか?

私が生きる意味を見出せず引きこもりになっていたことが有りますが
もしそのような方のお役に立てたとしたら本当に嬉しいことです

この方法よりも効果的で早く成就する方法は
炁樂仙女さんの 「生きる!意味と方法」 または「道院での修養」が有ります
ここで紹介する方法は 自修するには一番安全な方法です

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成功した人生とは  どのような人生だと思いますか?

                                      2009年10月09日 | 日記

この問いをお手軽Q&Aに出してみたいとと思っています

私の思っている成功した人生を
ここでは書いてみようと思っています
この世界は人が修養する為の世界であり 
神、仏、仙人、真人になる 勉強をする場だという思いが
今の私には強いですね 
蝶とかトンボとかを考えてみてください 
成虫になったときと幼虫のときは 住む世界が違っています
つまりこの世界の私達は幼虫のようなものだと思うのです
ヤゴや芋虫がサナギニなって羽が生えて別の世界に飛翔するように
私達は 霊のエネルギーが満ちると肉体から離れることが出来ます
そこまでは経典に書いてあるので解っています
その後がどの様にして肉体をもったまま永遠に生きることが出来るのか
それが解らない
でも経典には肉体を持ったまま永遠に生きて入るものがいると
そして坐をしている間に肉体から出られるようになったときは
100日間は自分の坐室から離れないようにと書いてあるから
それが出来るようになってから経典の中を見直しても遅くないし
多分其の時には教えてくれる方に会えることでしょう
其の時にはもう初級とはいえ神、仏、仙人の仲間ですから
先輩の方を訪ねることは出来るはずです

それが私の成功した人生!!

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心坐

                                      2009年10月17日 | 日記

今日は修養をプールに水を汲む事に例えてみようと思います
建て50メートル、横25メートル、深さ2メートル位でどうでしょう
これを満杯にしたとき仏に成れるとします(2500トンの水です)

大抵の宗教は水を入れるということをしないで
プールを賛美し又拝んだりします

さて近くに豊富な水が湧き出す泉が在るということにします

坐をすることは水を汲むことになると思います
1日 100ℓ汲めるとします 25000日ですね 
実際の修養でもその位は掛かるでしょう(68.49年、ほぼ68年半ですね)
これではとても現世では難しいようです
最も慣れてくると倍くらいまたもっと沢山汲めることだって可能かもしれません
でも相当の年月が掛かるでしょう

そこで心坐の出番です 
心坐は自動的に水を汲みます

まるで泉からプールまで水路を引いたように水路は
ふさぎさえしなければ24時間水を流し続けます

そして生きているあいだにプールは満杯になる
もっともこの方法(道院の坐)をすると
坐が半分成功しても寿命が延びるといわれていますので
水を汲む時間のタイムリミットも延びますが!

そんな都合の良いことが有るかと言うかもしれませんが
先天の炁は宇宙のいたるところに在って
人が虚を造るのを待っているのです
虚が有れば炁はすぐに入ってくるのです

仏教は座禅をし(それが水を汲むことになると思います)水を汲みます
そこで般若波羅蜜多の出番です

私は般若波羅蜜多を心坐と ほぼ同じものではないかと考えています
そうでなければ仏にはなれないはずです

道教では無為自然と言います 
これも般若波羅蜜多を心坐と同じものではないかと思っています

私が生きる意味を見出せず引きこもりになっていたことが有りますが
もしそのような方のお役に立てたとしたら本当に嬉しいことです

この方法よりも効果的で早く成就する方法は
炁樂仙女さんの 「生きる!意味と方法」 または「道院での修養」が有ります
ここで紹介する方法は 自修するには一番安全な方法です

道院のところで書き忘れたことがあります
道院では政治を語らずと言って 政治のことを話すことは禁じられています
個人で話すことは禁じられていませんが 道院内では禁止です
多分宗教が政治を支配して最初は良いように思えても
結果的に国家間の戦争を引き起こし 憎しみを増大させる結果に為る事が
歴史の証明していることだからでしょう

それから信仰を改宗させることはないということ
道院はその人の信仰を問いません 
今までの信仰を続けてもよし 道院に改めてもよし
たいてい道院の教えで自分の信仰している宗教の本質が良くわかり
自分の信仰を深めるのではないでしょうか

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般若波羅蜜多とは?

                                      2009年10月24日 | 日記

私は少年の頃 神、仏、仙人、聖者、超能力者を兼ね備えた様な
存在に成りたい等と思ったことがあります

今 幸運にもそれを適える方法を道院の経典に見つけました
その方法は経典翻訳者の解説とマニュアル化のお陰で
中学生くらいの理解力と素直な実行力さえあれば大抵の人が
仏に成れるというものです

唯 始めてから1年又は半年位は退屈ですので
その方法を続ける持続力のない人は残念ながら無理です

その時期が過ぎてこの方法が効果を発揮しだすと
もう気持ちよいやら楽しいやら面白いやらで
その方法をするのに時間を何とかして搾り出そうとするように
なりますので
アルコール中毒とかその他薬物中毒の人を
笑うことが出来なくなる様なことも!?

その経典には心坐というものが大切であることを説いています
心坐とはどのようなものかと言うと
形坐(座禅のようなものです)が椅子に座ってするのに対して
形坐をしているその感覚を保ちつつ日常を生活する
それだけです

私は心坐が仏教で言うところの
般若波羅蜜多ではないかと思っています

まもなく炁樂仙女さんがブログを始めるようですが
無や空、虚を深く研究しておられますので 
私の説明では 納得できない人は質問すると良いと思います

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私が思う無為自然

                                      2009年10月31日 | 日記

ここに私が思う無為自然を 書いてみようと思います
無為自然とは何もしないのが 無為自然
と勘違いしている人が多いと思いますが違います 

道教とは仙人になる道を説いているのです
何もしないで仙人に成れる訳が無い 誰でも解かる事です

金丹を練って仙人に成ると昔の本には書いてありますが
金丹とは何か? 物質の薬か? 違います

真中のことだと私は 思っています 

結局仏に成るのも、仙人に成るのも同じ修養をすることで 成就出来る
つまり 仏と呼ぶも仙人と呼ぶも 真人と呼ぶも
真霊を完成させた人のことを言うもので
人 時代 所によって呼び方が違うだけのはずです
最も多少の修養の仕方の相違によって 
完成した方々の気質の違いなどはあり 
それと本人がどう自分を認識しているかの違いもあると思います

無為自然とは 
何もしないのに炁が入ってくる状態を作り出し
その状態を 四六時中保ち続けることのはずです つまりは心坐

心坐が何もしないで 身に付くことは無いと思うのです
それは努力して その炁が入ってくる状態を作り出すようにする
そしてそれが 努力をしていると感じなくなり 癖になって
何もしていないと思い 実際にそう感じられるようにまで訓練するのです
それが出来たときが 
その状態を無為自然と言うはずです

道院の純任自然も 何もしないことではありません

「気が動き炁が入ってくるのをもっと強く動き 
もっと入ってくるように努力する また自分の思った通りに動かす
そのようなことしない事」

自然とは炁の自然 

自然とは炁が持っている性質そのままが 無理なく現われること
そのように炁が入ってきて 肉体を修復し 真霊を完成させ
真人と成れるように 
心と体と状態を整えること その状態を保つこと
その為に強制し努力するのは 当然のことなのです
努力も強制もしないのが 純任自然ということではありません

最初から心坐と言っても無理ですからね 
心坐も始めるのに良い時期というのが あると思いますね

最初は心坐と言うのがある 少しどんなのかやってみようかな 位で良いと思います 
心がけていれば そのうちに 
体が 「心坐を本格的に始める時期がきたよ」 と教えてくれるでしょう

ところで自然と天然の違い

自然とは 先天の状態のときに言います
天然とは天地が出来てからのことを言います

ですから普通に自然というのは
大抵は天然の事を言って言います

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理論抜き 120歳まで若く健康でいられる方法にコメントが有りました

修坐についての解説書 (無念者) 2009-10-24 20:53:03

この修坐について入門書、解説書の類の本を探しても見当たりません。
ありましたらお教えねがえませんか?
当方、地方で道院の本部までは通えなくて。

それと、修方さんのメールアドレスを教えていただけないでしょうか?

それに対する私修方の回答です

炁樂仙女さんの「生きる!意味と方法」を注文されたそうですね
それを読まれれば道院の成り立ちから修養の方法まで一通り
お分かりになると思います

道院の詳しい修養方法の書物は一般に市販されていません

修方(道院に入会して道名を拝領した者)になった場合だけ
経典を入手することが出来ます

道院の修方になっても別に通うことや寄付を強制されたりしないですよ
私などは一年に数回しか行きません それも自主的にいっているだけで
余裕のある人は寄付をすることはありますが それも各自の自主性に任されています

それから私のメールアドレスですが私は近々ブログを閉じる予定ですので
あまりお役に立てないと思います

それよりも貴方の質問や疑問には 貴方にだけ答えるのではなく 
他の人にも役に立つのではないかと思いますので 
「趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)」に来てくださると すぐに連絡が付きます

そこには伝言板がありますので
質問、疑問また道院についての情報はすぐにさしあげられます

また私に答えることの出来ないほどの質問、疑問には
炁樂仙女さんに聞いて若しくは替わって答えてもらえるようにお願いしておきます 

私がブログを閉じても 
炁樂仙女さんが ブログを開始する予定です
私のブログで納得できないところ又分からないところは
質問すると良いと思います
この様に回答いたしましたが皆さんもよろしかったら
「趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)」にいらっしゃって下さい

気軽なところです

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道院(銀座)に行って来ました

                                      2009年11月21日 | 日記

旧暦10月1日は東京総院の創立記念日です 
今年は11月15日で創立47周年記念日の祝典に参加して来ました
香港の総母宋からも来賓の方が来られ有意義な式典でした
参加者は去年より多くだんだん盛り上がってくるような感じで
とても良かったです

誦経の鈴はとても重要なものです
久しぶりに行ったら綺麗な鈴の根を立てる人がいて吃驚しました
そのうちにこの人の鈴で誦経したがるファンが増えるでしょうね
本当にこれからが楽しみです

私のプロフィールの写真を撮った青年にも会えました
以前からの知り合いの人たちに会えて楽しかったです

もう来年の48周年記念日が待ち遠しい位です

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般若波羅蜜多とは? にコメントが有りました

                                      2009年11月28日 | 日記

「仏様は人の悩みや苦しみを救うためにおられます。
人の悩みや苦しみを救うのが「空」の教えです。
空とは般若、中道、ご縁、真心だと思います。
人のためになることをしている人は菩薩様です。
欲や愛憎に執着していると仏様は助けてくれません。
清々しい心で気軽に微笑んで優しい言葉をかければ、
菩薩様になれます。
仏様にはなれません、人を超えた見えない存在です。
凡夫の私が言う事ですので笑い飛ばしてください。
ただ信じる人は、自信となり、仏性に助けられます。」

この人は真面目で仏教に関する本などもよく読んでいる 
立派な方だと推察します

でもたいていの人は自分が仏に成ろう 神になろう 仙人に成ろう
などと考えないみたいですね

授記品のせいかな その経典に書いてあることによると
お釈迦様がお弟子方に貴方は今から何年後の未来に仏に成りますよ
と予言し約束したようですね
その未来と言うのが凄い 300億の仏様を供養して 
お仕えしてその後に 仏に成れるというものです
仏様に運良くお会いするのも物凄く大変なのに
300億の仏様
輪廻して200年に一度仏様にお会い出来たとしても 
6000兆年位は掛かるでしょう
其の時に地球が果たして在るでしょうかね 
いやこの物質宇宙そのものが何度繰り返されていることか

これじゃー 自分が仏になれるなんて考えるのは
物凄く不遜な気がしてしまうことでしょう

こんな訳で仏教徒は 自分は仏にはなれない 成れるはずが無い
と考えているのではないかと思うのですが 違うでしょうか?
神も仙人も人間から成れるものではなく 
最初から神は神 仙人は仙人として
存在している者と思われているようですが

私は違うと言います 
この宇宙の主神(老祖様)が下さった経典には 
人は仏 仙人 真人に成れると言われていますからね
それどころか人以外のものでも 成れると!

それを日訳した経典がやっと出来たところです
解説まで付けてくれて マニュアル化までしてくれています
最早これで修養して 仏 神 仙人 になる人が出てくるのは
時間の問題です

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先祖、子孫が気になる人に (三代 九代)

                                      2009年12月06日 | 日記

大嶽で 林木先生にお話を聞いていたときのことを思い出しました
結構不思議なことをお話してくださいました

お宮等の前を通ると神様に呼び止められて
色々教えて欲しいと頼まれるのが煩わしいから
通らないように気をつけていたが或る時
台湾でフーチをやっているところをうっかり通りかかってしまった
そうしたらフーチで偉い人が通りかかるので
お招きするようにとのお告げが出ていたらしく
迎えの人が出ていて林木先生はフーチの壇に連れて行かれて教えて欲しいと頼まれたということです
仕方がないので其の時は心坐をしていた? 心坐を教えた?
うーんどっちだったんだったけ(だいぶ前のことで忘れてしまいました申し訳ない)

太乙北極真経を目読していたときに ふと周りを見回すと
ジャ(大蛇かそれとも邪かな もうその頃は林木先生そのものにビックリしてしまい 何か質問するなんてことも忘れて聞き入っていました いずれにしても 霊界の生き物だったようです)がまぶしそうにして目をつぶっていた
それで太乙北極真経をパンと閉じてやると
ビックリして山のほうに飛んでいった
経典には霊の光があるのだと言われた事も驚いたことです

それからフォークリフトだったか何かの事故があったけれども
幸い自分の霊光の範囲の中だったので何事もなく済んだ
霊光の中では不幸とか不都合なことは起こらないのだと

人に呪われても心坐をしているとそれが
呪った人に跳ね返ってしまうとか

でも一番印象に残っているのは
修養して真人になると
その人の直系の人前後三代(男性の場合はその人の父 男の子 女性の場合はその人の母 その女子という様に)が
霊界で同じように真人としての扱いを受けるということです

これは親にしてやれる最高の親孝行 
また子孫には最高の遺産でしょう
そして大真人になれば男女関係なく前後九代が
同じ真人としての扱いを受けると
これって凄いことだと私は思うのですが!

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直ってわかるトリガーポイント

                                      2009年12月12日 | 日記

私は坐で色々なところが直りました 
今もまだ直され続けているところが有ります
最近直ったところは右肩甲骨の左下 身体の中央よりのところです
ここは長く治しが続きました 
治ったと思ってもまたシコリが出来る
今までにないしつこいところでした

少し前にTVでトリガーポイントというのを紹介し直し方も
教えていましたが(NHKためしてガッテン)
本当の原因になるところは遠いところに有るので 中々それに気が付かないとの事でした
それが肩こりや腰痛などを惹き起こす原因になっているところであり
ピンポン球より少し小さいようです

そこを直さないと又肩こりや腰痛が起こるというようなことになるそうです
一般的な直し方はペインクリニックにいってトリガーポイントに麻酔を打つということでした

私も肩こりが有ったのですがそれが治ったのは案外簡単でした
しかし肩こりが治ってもまだ違和感があったのでおかしいと思っていたら

小さい球のような感じに痛いところが現われました
坐をはじめてから長い時間が経ってから治しに掛かって治している間中
大分痛い思いをします

その痛さは足などが攣って痙攣するあの痛さを半分にしたくらいかな
最初に現われたときは坐が終わるまで治りませんでした

何回か坐をするうちに急にそのところの痛さが無くなったので
治ったなと思ったのですが

坐の時間を短い時間しか取れなかったりすると
またシコリが出来ています

今までは治ったところがまた痛くなることなどなかったので
びっくりしました

何回も治すうちにこれがトリガーポイントで
肩こりなどもここが原因だったのではないかと思い当たりました

幸いこのトリガーポイントと思われるところも
なんとか治ったようです

坐の感じが変わってきたことからも 
分かります(同じ感覚になるまでの時間が 短くなってきたことから)

坐って面白いですね 

皆さんも私ほどひどく体が痛んでいないでしょうが
多分自分の思ってもいないようなところが
痛くなったりして驚くことがあると思いますよ

坐をして坐の効果が出てくるようになると
女性は生理が無くなると林木先生に聞いたことがあります
坐を休めばまた生理は戻るそうですので
子供が欲しい人も心配はしないでください
坐で生理が無くなることを(赤龍を斬つというそうです)

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フーチ(扶乩) 四 三 一 二 

                                      2009年12月26日 | 日記

フーチを一度だけ見たことがあります
1982年9月7日の香港総母宗でのフーチです
其の時 黙真人様から頂いたお言葉の訳文が
○○は本処に到りて恭うやしく侍し、一誠の感ずるところ頗るよいことである。
命を奉じて特に天霊四度天爵三級を賜わり大功一次を記し福果二枚を賜る
福果というのは○に福と書いた印刷された袋に
紅玉のようなリンゴが入っているものです
天霊四度天爵三級を賜わり大功一次とは 霊的な御褒美です
香港に行く飛行機の切符を手配してくれたMさんの話では
この御褒美は異例な程の御褒美だったようです
ですからフーチが休憩になると香港の人たちが 
珍しそうに私を取り巻いて
日本からよく来ましたねというように歓迎してくれました
このころはフーチでのお言葉は絶対で 
その中でお褒めを頂いたりすると注目を集めました
しかし私はフーチに行った目的 
大嶽が寄修所(道院の一歩手前で三年の内には道院にするという約束で道院と同じ修養の場所として許される)
として認められるかどうかが気懸かりだったので
フーチを見るのも何も気がそぞろであまり印象に残っていません
そんなあやふやな記憶ですが
いまでは道院のフーチを実際に見た人が少なくなっているので
思い出しながら書いてみようと思っています

フーチをする所はフーチだけをする特別な部屋でします
上座に2~2.5m位の身長の人が座ると丁度良さそうな椅子が置かれています
そこに神様がお座りになりその体の大きさに相応しい木の棒(乩筆)で
砂の上に字を書くと思ってください
太さはうどんやソバを打つ麺棒より少し細いくらい
砂は90cm位の四角いお盆に平らに盛ってあって
そのお盆は床上1メートル位に テーブルの上に置かれています
そこに書くのに丁度よいくらいの高さになるように
椅子は少し高いところにしつらえられています
乩筆は先から3分の1ほどの所で1m位の同じ太さの棒を
横に交差させ取り付けて手前の部分を切り取ってしまいます
するとT字型になります そのTの横棒の先を二人の人が
テーブルの横に立って向かい合って持ちます
上座に向かって左に立つ人は左手で棒の先を持ち
右の人は右手で棒を持ちます 右手で棒を持つ人は
書いた文字を消して砂を平らにする小さい木片を左手に持ちます
棒を持って神様を体に宿し文字を書く人を「纂方(さんぽう)」と言います
書かれた文字を読む人は「宣」 記録文字を紙に書く人を「録」といい2人います
一人は後々までの資料として取っておくために 
もう一人は別室に控えている人達のためにまるで号外のように書かれた文字をすぐに披露する係りです
それからフーチ全体を監督する立場の責任者がいます
この時はフーチにより任命された道院最後の
全世界道院の統掌(最高責任者)仁光会長がなさっていて
文字を読むのを間違えたりしますと 注意しておられました
ですから道院のフーチをするためには少なくとも5人必要です
「録」は一人でも出来ますので

昔はこの宣、録、纂方がチームになってフーチの訓練をし
代わる代わるやっていたようです

現在 道院としての正式なフーチは存在しません
フーチがあったころからいつまでもフーチに頼っていてはいけない
とフーチで言われていました 
自分たちがフーチで教えていただいたことを基に
自立するようにとのお言葉だったのですが
まるで赤ん坊か子供のようにフーチに頼りきっていて
フーチが無くなると道院は 修養する人が少なくなってしまいました
神様としては 修養に必要な経典は全て与えたと
またどういう場合にはどのような行動をとればよいかということも
沢山の訓文(フーチで示されたお言葉)が有るので
それで類推して行動しなさいというお心であったようです

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太乙正経日訳の意義 フーチが無くなっても大丈夫

                                     2009年12月27日 | 日記

太乙正経午集の日訳が出来上がり道院に寄贈されました
この日訳には炁樂仙女さんの参考解説というのが付けられていますが
実はこの参考解説が非常に重要なものなのです
いままで道院の経典は深遠にして理解不可能と
云う考えが一般的でした 経典をそのまま訳しても
何が何だかさっぱり解らないものでした
炁樂仙女さんの参考解説を読んで 
アアそんなふうに経典を理解しなくてはいけなかったのだと 
私をはじめ道院の修方の方々も 気が付いたしだいです
気が付いても 経典の翻訳など絶対自分には無理と
参考解説を読んで分かります

そしてこれを読めばどの様に修養をすればよいか
又注意点や修養の経過などがよく解かる様になります

このお蔭で道院の修方(修養する人)は 
どの様な修養をすれば神 仏 仙人 真人になれるかが解り
実際に効果の現われ始めている方もおられるようです

わたしはこの太乙正経午集日訳が世に出たことによって
フーチが無くなっても大丈夫なのだと確信しました
この日訳により ごく普通の才能の人でも神 仏 仙人 真人になれる
可能性がある様になったのだと
そして坐中に霊体が肉体から開放されるようになれば
いずれ老祖様にお会いできるようになり
それこそフーチは必要なくなる
何人もの人が 修養がそこまでに到れば万々歳です

無念者さんと言う人の所に行ったとき ネイチャリングというもので
将来日本から世界的な宗教指導者が出るという予言が
紹介されていましたが 私は当然だと思いました
道院では昔からの道昌は東瀛(日本のこと)からと言われていましたし
林木先生も日本語に訳されて
それから中国の人にも意味が分かるようになる
と云われていました

何処の宗教が 人が神に 仏に 仙人に 
成れる方法を教えてくれるでしょうか
何処もありはしないと思います
人間の歴史始まって以来始めてマニュアル付で
人が神に 仏に 仙人に 真人に成れる方法を文字で表した
経典が道院の経典です 

ですから道院で修養して真人になったどなたかが
私たちも含めて世界の精神世界の指導者になってくださると思っています
私は早くそのような人が出てくださるのを
本当に待ち望んでいます

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無念者さんのコメントに答えて

                                      2009年12月28日 | 日記

太乙正経日訳の意義 フーチが無くなっても大丈夫
に無念者さんからコメントが有りました

無念者さん
  2009年12月27日 20時37分

道院でも、昔から偉大な指導者は日本から現れると、言われていたとは。
キリストの再誕にも似た、馬やどの皇子こと聖徳太子も出現したことですから、その指摘は驚きです。
少し昔に、出口王仁三郎が中国に渡った際にも、特別な関心を持たれて歓迎されたそうですし・・・。

どうも私の説明が下手で誤解を持たれてしまったようです
道院では偉大な指導者が日本から現われるとは予言していません
道が盛んになるのが日本から盛んになると言われているだけです

世界的な宗教指導者が現われるとしたら道院で学んだ人以外にいるはずが無い
と思っているのは私の考えです(道院の修方とだけに限らないとは思いますが)

宗教の世界的指導者として認められるとすれば
道教 仏教 イスラム教 キリスト教 儒教など全ての宗教指導者達から認められなければならないと思います

今のどの宗教を学び修養してそのような人になれますでしょうか
宗教を指導するには 宗教の次元では無理だというのが私の思いです

宗教の全てが解り尚且つ宗教の足りないところを的確に指摘し
その宗教を完成させてあげられるだけの
知識と理解力が無ければならないはずです

太乙正経日訳が出来たことにより
道院の修方は知識とその結果を体で現すことが出来る 
マニュアルと修養地図(喩えです)
を手に入れることが可能になりました

炁樂仙女さんは 「太乙坐譯法言」の翻訳を始めました
出来上がればマニュアルと修養地図はいっそうくわしいものになります

私は趣味人倶楽部に 「新しいコミュニティ」を作り
炁樂仙女さんに色々聞きたいことを質問します 

皆さんも宜しかったら 質問をしたり 答えを見たりしに来てください
にぎやかに楽しく学びましょう

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長命の確信による人生の見方の変化  (私のブログは終了の予定でした)

                                      2009年12月28日 | 日記

坐によって自分の体が昨日よりも回復しているという感じが
日々重なるようになり 自分のするべき仕事を意識するようになると
(天命を知り志を立てると「道院では」寿命を特別に与えられることがある)
道院でいう124才の寿命位は(これは普通に今の人に与えられた寿命)
なんなくクリアーできるなと 確信するようになるようです

病気や不幸などはほぼ自分に無縁に思えてきますし

そうすると日々の人生の見方のようなものも
自然に変化してきます
なんとなく ユッタリ とした気分で過ごす様になるようです

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「真人クラブ」の名称を変更します

                                      2010年02月16日 | 日記

「真人クラブ」を「本気で真人クラブ」に変更します

gooのブログに その名称は傲慢ではないか という忠告が有って
 
「真人クラブ」と言うと 
今、現在 真人に成っている人が入っている
又は真人だけが入会出来ると言うような誤解を招きやすい
と気付きました それで

3文字長い名称になりますが  
① 本気で と言うと主旨がわかりやすく 誤解を招きにくい 
② かえってカジュアルになる

けれども やはり現実に 経典の研究は必要で 
経典を持っていなければ 入会しても話が通じにくい
経典の研究は道院内でだけ許されているので
道名を持っている人だけを会員として 
「道院に準ずる所」として
経典を研究しながら皆で助け合って真人に成ろう ということで
「本気で真人クラブ」に変更することになりました

あらためて入会資格ですが 原則として
道院の道名を持っていること
次の基本的な経典を持っていること
1)太乙北極真経 
2)太乙正経午集(日訳でもよい)

ですから資格のある方は 
気負わずに安心して入会して欲しいのです
入会して研究発表などを読むだけでも良いので
質問や発言をする義務は有りません

気になる方は 趣味人倶楽部のプライベートコミュニティで
「本気で真人クラブ」を検索すると 玄関まで行けます

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道院に伝わるエピソード(1-1)

                                    2010年02月07日 | 日記

道院の紹介をするつもりで日本紅卍月刊誌を読み返してみると
まず面白い楽しそうな記事は 殆ど秀和氏が書いていました

秀和氏とは 笹目秀和(恒雄)氏のことで 
世間では笹目仙人などと呼んでいる人も結構いました

吉川栄治氏とも親交があり 
吉川氏から 
貴方の人生は 一大小説のようだとか 
貴方の人生がそのまま文学だ
というようなことを言われて 
ソレジャーというので書いたのが
「神仙の寵児」(笹目恒雄)という自叙伝のようです

吉川氏の奥様が御岳で梅園を開いていたと
聞いたこともあります そのような関係もあったのか
懐かしそうにして話していましたね

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道院に伝わるエピソード(1-2)不思議な焼き餅売り(笹目秀和氏原稿の記事より)

                                      2010年02月08日 | 日記

奉天道院の奇跡

 張作霖を動かした絵

満州に未だ一箇所も道院が創立されていなかった頃のことである。済南、北京等の同修の間では
奉天に道院の開設を願うこと切なるものがあった。
従って軍閥関係に顔の広かった王鉄老に嘱望する者が大多数であったが、
張作霖は呉佩孚(この人について逸話についてはまた別に書くつもりです)と異なり
緑林出身の目に一丁字もない無頼漢と解していたから、さすがの王鉄老も引き受けようとしなかった

 ある日開沙(フーチの壇が開かれること)に
済仏が至極明朗な調子で壇に降り「ハハハ!王鉄珊何を躊躇している!
絵を描いてやるから何も言わずにそれを張作霖に見せろ」とのことだった。

その絵を持って王鉄老は早速奉天に飛んだ。王鉄老が呉佩孚を口説いて
開封に道院を創らしたということは、当時軍閥のみならず各地の勢力者の間では有名になっていた。

 張作霖も王鉄老来ると聞いた時、神様の話など絶対に聴くものか、心にきめて王鉄老の面会申し込みに対して
慎重な態度を以って臨んだ。
応接間に出てきた張作霖は「どういう用件があってはるばるやってきたのかね」と問うた。
王鉄老はニコニコしながら
いや別に大した用件もありませんが目新しい絵が手に入ったので閣下にお目にかけたいと思って持参したのですよ。
と言ったら、けげんな顔をして張作霖は、「絵を俺に見せたいって?別に俺は絵の蒐集家でもなければ趣味もない。
何を勘違いしたのか王鉄老・・・」

 「まあはるばる北京から持参したものだから見て下さい」と紙に包んだまま済仏さんの絵をテーブルの上に押しやると、
張作霖は自然手を延ばして自ら開いて見入ったが
「ウヽ」とうなり声と同時に顔色が変わっていったことを王鉄老は見逃さなかった。

 「これは誰が描いたんだ」と激しい口調でたずねた。
済仏さんと言ってね、と済仏さんの故事来歴と道院について物語ったのである。
張作霖は言下に「よし奉天道院は俺が創ってやる」と断言したということである。

 その絵がどんな絵であったか詳細には聴き知った者はないのだが
絵の巧拙によって張作霖の胸を打ったものでないことは確かであって、
一見して、秘められたる彼の過去か或いは未来を暗示して感銘を深からしめたもののようである。

 かくして奉天道院が創設されるや、その開院に当たって済南母院は
統掌級の人物鄭嬰芝先生を団長として佈道団を送った。

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道院に伝わるエピソード(1-3)奉天道院、開院式

                                     2010年02月13日 | 日記

 奉天は東北四省の軍事、政治の中心地であって
満州王と称した張作霖の居城である。
緑林出身と言えば洵(まこと)に美しく聞こえるが
わかり易く言えば馬賊上がりの目に一丁字もない御大将であるから
その部下もそれにふさわしい豪傑ぞろいである。

 開沙が始まると何しろ目新しいことであるから
当時の文武百官が集まってその沙盤におどる沙木の筆致に目を見張って
一応つつましやかに打ち眺めていた。

 当時奉天警備司令官の重職に呉俊陞(ごしゅんしょう)
と称する四十台の若い将軍がはりきっていた。
そして人毎に言うには、うちの親爺(張作霖)は紙の線香に騙されて
道院とか紅卍とかいうものを創ってやったりしているが、あれは眉つばものだ。
共産主義の偽装結社ではないかという臭がする。
と語ったりして心中面白くなく思っていた。

開設最初の開沙に立会して何か欠点をつかんでやろうと
部下十余人の精鋭を連れて表面はおだやかな顔つきを装っ開沙中の部屋に入ってきた。
肩をそびやかし左手に佩剣を握った堂々たる体躯は
凛然たる偉風を示すに足る軍人である。

 呉司令官の驚き
 沙盤上には今、済仏が大命を奉じて降臨し「養生秘義」を説いておられた。
神与性命相関、性為先天所賦命為後天所与・・・迄来た時
突如として「俊陞儞還我焼餅銭吧=俊陞!お前は俺に焼餅代金をかえせ=」
と文中一変した言を飛ばして更に訓文を継続して
其能活動、作言笑之挙、非命無以固其根蒂、非性無以演其霊活
非命無以固其根蒂、是以命之相関、有不可須臾離者也。
と坦々として養生義談を続けられたのである。

 把剣の偉丈夫呉俊陞将軍は、衆人看守のうちに在って
いつの間にか頭を垂れ膝を屈し
拝跪し叩頭九拝して暫くはゆか板から頭を挙げ得ないでいた。
随っていた十人の部下は御大将がそうであるから
同じように土下座して頭を垂れてしまった。
この様子を見た多数の人々は何事があったのだろう
と顔を見合はさぬ者はなかった。

漸く開沙も終了し、神前の御礼拝を済ませて
御神殿を退下し客間に引き取った一同は呉俊陞将軍から
次のような談話を聴いたのである。

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道院に伝わるエピソード(1-4)奉天道院、開院式に続く

                                           2010年02月20日 | 日記

将軍は未だ二十才前後の学生時代を北京で送ったのであった。北京西北の郊外に有名な万寿山がある。
清朝末期に西太后が権勢をほしいままにしていた頃、造り上げたのが、この万寿山で
南支の洞庭湖そのものをここに移そうとして人造湖を造ったが、その土は万寿山となった。
その西に玉泉山があり西山がある。
万寿、玉泉の二山は皇帝の別荘内にあるが、この西山の山麓は中国顕官富豪の別荘地にあって
その裏山はかなりの深山である。
呉俊陞将軍の学生時代、十余名の学友と
図上の一点を指定して各方面から集中登山を計画してこれを実行に移したのであった。

然るに呉青年は山径を踏み迷ってどうしても指定地に出ることが出来なかった。
相当以上に体力には自信があったものの、ヘトヘトに疲れた。
空腹は極度に達する、足を踏み外して転落した時、所持品は放棄してしまう。
冷静に来し方行方を観察するが人煙人家は見当たらず今迄人の子一人出会ってもいない。
日輪は没しようとして西天の雲間を彩っている。
こんな深い山とは思はれなかった、そして山麓の何処を指して行けばよいのか 全く今は絶望のどん底にあって
遂に目もくらみ大地に坐ってしまったのである。

不思議な焼餅売り
 それからどれ程の時間が経過したか、あたりは薄暗くなってきた中に
一人の見すぼらしい百姓爺が左腕に柳籠をかかえて山路を下って来た。
呉青年は思はず目を見張って聞いた「お前は何者だ!」「俺か、俺は焼餅売だよ!」「何!焼餅?」
と飛びついて百姓爺の籠中の焼餅をむさぼるように食いつくした。
それでやっと人心地ついた時、彼は所持品の一切を転落した時失ったことに気付き、銭がないことを告げた。
百姓は笑って「いいとも、いいとも」と坂道を下って行こうとした。
爺さん待って呉れ!かくかくのところに行くにはどう行けばいいのだと聞けば
「俺の従いて来いよ」と言ったので随従すると二三分もたたないうちに、ガヤガヤと人声のするところに出た。
その人声は呉青年の遭難を論議していた友人達であった。
 それから二十年!呉青年の半生、夢寐(むび)にも忘れることの出来ない山中の遭難
しかもその山中にあらわれた焼餅売と称する百姓爺、焼餅ならば人出の多い処を選ぶ筈でなければならない。
人一人往来しない山中に餅売りは来ない筈。あの百姓は決して百姓ではない。何者だろう。
そうして二、三分にして友人達の集合地に達したが、いつの間にか百姓爺の姿はまかった。
俺をあの危急から助けて呉れたのは何者だろう?
こうした疑問をもって、その夢ならぬ事実を謎として半生を過ごしてきた呉俊陞が
奉天道院の開設にあたって、済仏から「焼餅銭を返せ」と言われたことによってハッとした。
その瞬間、偽装結社の紅卍字会の本体をあばいて呉ようと意気込んでいた彼は
張りつめていた神気が一遍に脱落して即時跪坐して九叩したのであった。
そして済仏への御礼に自分はどうすればよいのかと、真剣に鄭嬰芝先生に問うのであった。

 当時奉天のみならず各地で軍閥の苛斂誅求に悩むことは中国全土の風であったので
嬰芝先生は言った。神様にお尽くしする第一歩として先ず住宅を造り
散在する軍官を一緒に集めて」街民の安寧を保ってやることが大切であると。
呉将軍は嬰芝先生の言を直に実行した。

 張作霖、呉俊陞にまつわる話は多々あるが奉天道院開設当時の因縁の一端を述べて擱筆する。
想うに事の成敗は、一朝一夕に決するものではなく、遠きは幾千万年に根ざし
近くも幾年かの過去にその深い因を発していることを、考慮せねばならないと教えられるものである。(今回のお話終わり)

済仏さんって殆ど 朗らか爺さんみたいですよね!
私も台湾の崇善仏堂での書画壇で絵を描いてもらったことがありますので
済仏さんには親しみがあって何だか 
自由奔放な大叔父さんみたいな感じを持っています
こんなことを云うと道院の神さまに叱られそうな気もしますけれど
マア イイかな?

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関東大震災に対する物質的援助

                                             2010年02月27日 | 日記

大正十一年(1922年)に道院が正式に成立し、その翌年に紅卍会が出来た。
成立すると殆ど同時といってもいいその頃に、道院の扶乩(フーチ)の壇に於いて重要な訓を垂れ給うて
紅卍会は全国に通達して「救済のために金円と米を集めよ」との訓命があった。
僅かに三四ヶ月の間に米四千石(60万kg)当時の銀二万両が集まり
これをどうするか処置法を扶乩で伺ってみると「其れを日本に送るように」とのことだった。
時はまだ七月の候であるが当時中国では‘防穀令’なる法規があって、穀物を国外に輸出することが禁じられていた。

 主神の命は絶対である。
道院の幹部は部脳をしぼって考察した結果、これを南京の日本総領事館に話を持ち込み
当時領事をしていた林出賢次郎(後の日本道院創設功労者)氏にこの金品全部を差し上げるということにした。

 総領事が日本郵船をチャーターして日本へ送る分には、外交官条令によって無検査無税でパス出来たのである。
無事に神戸に着いたので、これをどこに陸揚げするかを電報で伺ってみると
扶壇の指令は「それを東京に送るように」とのことだった。

回送されて船が東京湾に入ったのは大正十二年八月三十一日で、翌日正午に起きた関東大震災を待っていたようなものだ。
震災の救援物資として当時の東京市に寄附第一号を以て紅卍字会が記載されたことは、かくれなき事実である。 
(秀和氏著書より抜粋)

因みに現在も林出氏のご息女が毎年東京総院の創立記念日に
ミカンを贈って来られているそうです
一度だけ行き合わせた時に 頂きましたが美味しいミカンでした

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道院に伝わるエピソード2

                                            2010年03月06日 | 日記

燕京(北京の別名)の天使
天使と言ってもエンジェルを考えないでください
小父さん「王鉄珊(さん)先生」のことです
不思議な焼き餅売り
奉天道院の奇跡で
張作霖を動かした絵で出てきた人です
此のお話の方が時間的には先のようです

  神命を拝して開封へ
 北京道院に属していた王鉄珊(さん)先生を、人呼んで王鉄老を敬称していた。
ある時、開封に行って来いと壇訓に示された。
 開封!何の御用があって行くのだろうと、その用命については何も示されていない。
考えに考えを練った結果、開封に道院を創れということだろうと思った。
しかしながら開封には誰一人親しい者もなく、何の手がかり足がかりもない
。どうしたらいいものか王先生は日夜考えぬいた。
フト思い浮かんだのは呉佩孚将軍の相貌である。
この人は中国屈指の勢力家であると同時に仏教信者で有名である。
中国仏教会の会長であって、その宗教的会合に於て二三度会ったことがある程度の知り合いに過ぎなかった。

 現在開封督軍として河北数箇師の指揮監督権を有し、地方軍閥として最大の実力者である。
こうした勢力者に、今は一介の浪人に過ぎない自分が面会を申し入れたところで
大体門前払いを喰わされるのがあたり前のことではないだろうか。
だがしかし、
老祖様の御用であるとすれば、よろしく采配をして下さるに違いないから思い煩うこともあるまいと
考えを定めた王先生は、北京を発って京漢鉄路を開封へと旅立ったのであった。

呉佩孚将軍と会見
 唐、宋の昔から西安、洛陽の古都を、黄河と共に下って来ると、北は燕京、南は漢口に通ずる交通の要衝に開封がある。
督軍公署衛門を訪ねると、銃剣の衛兵に護られて素浪人王鉄珊が案内を乞うにはいかめしい衛門であった。
入るにも入りがたく去るには忍びざる神命を抱えて、行きつ戻りつしていると、衛兵はらとがめられた。
王鉄老は素直に云った。
こんな見すぼらしい格好で、信じて貰えないかもしれないが、私は仏教会でしばしば大将軍にお目にかかっている者です。
重要な問題を提議しようと思って、北京からわざわざやって来たのですが
大将軍に王鉄珊が面会を申し出ていると、お取次ぎねがえないでしょうか
と真心こめて一兵卒に過ぎない巡邏の衛兵にもうしいれた。
あたり前ならば一喝の下に追い返されるのだが、不思議にもその巡邏兵は門衛の日直将校に取次ぎ
その将校も亦素直に副官部に伝達した。
王鉄老はしばらく衛兵所に待たされたが、やがて呼び出されて案内兵に随って中門を入ると接待所の一室に通された。
ここで待つこと久しくして副官が現われ用件を詳細に聴かれた。

 「燕京の仏教会において大将軍の尊顔を拝することしばしばであるが、たまたま私用をもって当地に参りましたので
大将軍のご機嫌伺い旁々(かたがた)宗教上の問題について大将軍の御教示を仰ぎ度いとおもって立ち寄った。」
と淀みなく副官に来意を告げた。
 奥に消えた副官は再び姿をあらわすと王鉄老を呉佩孚将軍の居室に導いて呉れたのであった。

  呉将軍の条件
 現在の社会でもそうだが、それ以上に中国の伝統から云っても余り見聞きされていない存在が
政治、軍事的最高部に位置する特権階級に突然面会を申し込んでも、先ずその望みを果たし得ることは稀である。
民主的と称する昨今でも中々容易でないだろうに、戦前の閥族跋扈(ばつぞくばっこ)時代に
王、呉両雄の会合は先ず以て異数の出来事であって、ご神意のしからしむるところと思わざるを得ない。

 王鉄老!宗教上の問題って何かねと尋ねられた。
私は本来仏教徒として主宰する会の一員で、真面目な信仰を続けておりますが
この数年来ご承知の済南に起こった道院の主唱する天唯一神、至誠先天老祖の偉大なみ教えのも深く傾倒しているのです。
と道院信仰の実体について縷々として述べたのであった。
王鉄老は元来弁舌の豊かな人ではないということは定評のあった人である。
だが仏教哲理にくわしい有数な時の権勢呉将軍将軍の前において
何をしゃべったかは自分自身さっぱり覚えていなかったが、
将軍は答えて云うには、
 王鉄老!若冠にして吾は釈尊の教理に開眼し、仏法の尊厳は知っているが、未だ神威知る機会はなかった。
恰度今、この北支一帯は大旱魃(かんばつ)に見舞われて、この冬三尺(90cm)の積雪を見ることが出来なかったならば
春耕は望まれない、官民共に嘆声をあげている時だ。
それ程偉大なる御神威の出現を説くならば、断固そのみ力の顕現を示して貰い度いと思う。
若しこの目、この体を以て感得することが出来たならば、呉佩孚一個の力を以てこの地に道院の創設を引き受けよう。
と力強い言葉を聞いたのであった。
だがこの言葉の裏には、王鉄老の ひたむきな新興宗教礼賛を嘲笑するようなひびきがないでもなかった。
だが王鉄老は素直に将軍の言葉を腹中に納めて督軍公署を辞去し
その夜のうちに京漢線を北上して北京道院に帰り着くと、正位御神前に額ずき
呉佩孚将軍との対談内容について御報告申し上げたのであった。

畏(かしこ)し御神威は歴然・・・・
 御神前を去って道院の門前に立つと、摩訶不思議!チラホラと雪が降ってきた。
呆然として王鉄老は門扉の逆木に腰をおろし
食うことも飲むことも忘れて一毛一厘と重なり積んでゆく雪を眺めて夜を徹したのであった。
一昼一夜にして雪は六尺に達しようとした。
王鉄老の心中には矜躁偏急の誡も忘れて、一刻も早く開封に引返へそうとして京漢鉄路駅に飛んで行った。
だが近来稀に見るこの大雪!除雪車の設備もない鉄路局は「没法子」の連発だ。
保線各区の分担において、最大の人力を用いて除雪作業の結果、数日後やっと開通した。

 王鉄老は再び督軍公署を訪れて呉佩孚将軍に謁し、ただニコニコと笑顔を見せただけで何を云おうともしなかった。
 事実王鉄老の口には何の言葉も出て来なかったのである。

 呉佩孚将軍は云った。
「王鉄老、余は完全に貴下の軍門に降った。いや貴下の説く御神威の前に膝まづくことにする。
雪解けて民は春耕にいそしむ芽出度く頃、吾らは約束の道院創りを始めよう・・・・」と。
 かくして開封道院は芽出度く出来上がったのである。

これでこの呉佩孚将軍さんは真人になったと思います
林木先生の言われるには 
真人になれる条件に一人で道院を創り維持した人は真人
(功行真人といって 手柄を立てた人が成れる真人です・・・後で神界に行ってから円満な真人に成るために修養が必要です)に成れるそうですから

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別版 関東大震災に対する中国道院の援助

                                      2010年03月13日 | 日記

関東大震災に対する中国の道院よりの援助のエピソードに
別の記述をした文章が在ることを 
私の尊敬する道院の修方から教えていただきました
それは道院の最初の頃の月刊誌 東瀛道慈月刊第1巻3号にある記述です
それでその記述も紹介することにしました
読んでみれば分かるように関東大震災のことがメインの記事ではなく
日本の道院と大本の最初の出会いを関係者が追憶したものです
その記事をほぼそのまま写してみました

世界紅卍字会の特使訪日の追想「山口利隆(道名 道隆)」より
  真善美愛 至聖太乙老祖
 大正十二年一月私が綾部の大本教主殿の一室で霊界物語の原稿を
日々数人の人達と机を並べて浄写させて頂いていた頃のある日のことでした。
出口王仁三郎(道名尋仁)師がその室に来られて肩越しに私の机の上に何か毛筆で書かれた半紙を下さり
「それをみよ」と言った身振りで、無言のまま行ってしまわれましたが、その美濃半紙大の紙に書かれてあったのが
「真善美愛 至聖太乙老祖」の書でした。
これを一見しましても一向に何のことかその意味がわかりませんでした。
それは、
「至聖太乙老祖」の文字は初めて見た文字だったからです。
しかし其の年の秋になって、世界紅卍字中華総会より侯延爽(道名素爽)先生が来訪された時に
漸くこの謎が明快にとけたのでしたが、当時はこの簡単な書が世界紅卍字会と大本の提携合同の予言であり
私自身も予想しなかったほどの使命がその方面で負わされていたことには全然思い至らなかったことでした。
 
関東大震災の予言
 大正十二年九月一日には関東地方一帯に凄惨な大地震が起こったのですが
恰度その一週間前だったでしょうか、いつもの通り教主殿の一室で霊界物語の浄写をしておりました時
突然尋仁師が来られて、机のうしろへ呼ばれて行きますと、てのひらに「タコマ」と書かれて「わかるか」言われたので
「わかりません」と答えますと、「高天原と云うことで富士山のことだ。
言霊別名がタコマ山の祭典中にエトナ山が爆発して、その惨状が手にとるように見えると霊界物語第三巻に示されてある。
エトナは江戸のことだ。
富士山から東京を見ると、目の下に見えるわけだ」との意味をてのひらに指で書き
言葉少なく関東に起る災害について教えられて愕然しましたが
当時の大本では、物質万能黄金万能の誤てる体主霊従思想を立替えて
大愛の主神の心に立ちかえり、大神の赤子誠心に立直さなければ、恐るべき大峠の災害を未然に防ぐことは出来ぬと
全国的に声をからして宣べ伝え、真の愛善精神を基盤とする新しき日本を建設し
世界の平和を打たてることを絶叫したものですが、世人は神がかりの言葉として一笑に付して些かもかえりみませんでした。
しかし神の言葉は毛筋の横はばも狂いのないものでした。

  世界紅卍字会の関東震災救済使節来る
 関東震災の悲報が中国に伝わるや、世界の災患を救済することを天職としている
北京の世界紅卍字会中華総会には神命に依って日本震災賑済処が設けられて
直ちに全中国の世界紅卍字会の各分会より救済資金が集められ、白米二千石と現銀壱万元を持って
救済の為に侯延爽、馮華和、楊円誠の三氏が神命で派遣され、東京震災復興局に救済品が届けられた。
団体では大阪府よりも早かったと言われる程迅速にとり運ばれたのです。

 三名の救済使節が中国を出発するに際して日本の神戸(かみの戸の意)に道院開設の準備をすること
日本に於ける新しい宗教団体の中に道院紅卍字会とその主義目的を同じくする団体を捜し求めて提携して帰るべし
との二つの使命をもって日本に来たのであるが、某宗教その他宗団を訪ねたところ一向に要領を得なかったそうであった。

  侯延爽先生と出口尋仁師との会見
 その後、十一月三日に侯先生は通訳をともなって、綾部の大本を訪問されたのですが
その日私は京都大学の学生クラブで開催された、日本式ローマ字の会合に出席しての帰途
はからずも侯先生と同じ列車で綾部に帰着したのでした。
私がローマ字会の報告をすませて教主殿裏門より出ますと、その時、目の前に一台の自動車が到着して
来訪者から一枚の大きな名刺を差出されました、見ると世界紅卍字会中華総会侯延爽と印刷されているので
思わず驚嘆の声をあげる程でした。

実はその一週間前に霊界物語第五十七巻の総説歌を浄書しまして
その中に「世界紅卍字会や普化教も、残らず元津大神の仕組み玉いし御経綸云々」とありましたので
あああの世界紅卍字会の方が来られたのだ。
尋仁師はさぞ御よろこびになられるだろうと思い、感激に胸の高鳴るのを覚えた次第です。
その日尋仁師は大阪へ出張中でしたので、早速二代教主(道名承仁)に名刺を持参してその旨を取次ぎいたしますと
言下に「すぐ御会いする、そして亀嘉(綾部の一等旅館)へご案内して聖師さんに電報を打ってよ」と口早に命ぜられた。
そこで早速教主殿へ侯先生を御案内し、ここで初対面の挨拶があった後に旅館へ案内して休息を願いました。

 翌四日は永く旅順に住居していた池中家、(妻の実家)で自慢の腕を振って中華料理をととのえ
歓迎の会食をすることなり、侯先生、通訳、二代教主、それに池中守恵(妻の母)と私が御相伴で
至極和気にみちた歓談の中に会食を終わりますと、二代教主より、「侯先生、旅館より私の方に参りましょう」
と手を引かんばかりに教主殿へ案内され、和服にくつろがされて、北村隆光(道名尋宗)氏に神苑内の案内をさせました。
侯先生は静寂の気にみちた広大な神苑を非常に感嘆されて、まことに霊地であるとしきりに洩らしておられた。

 四日夕刻尋仁師は大阪より帰られて教主殿で侯先生と面会され、大本の救世の神業につき詳細にはなされ
基督教の信仰をもつ侯先生のバイブル聖句の疑点を明快に解決し
更に霊界物語第六巻三大教五大教の提携合体のところを指し示して貴方の来られることは神界から知らされておった。
道院紅卍字会こそ世界の五大宗教を統合する聖なる宗団であり
大本と手を携えて世界に平和を来たらすことは神界の御仕組みでありとし、侯先生も非常に賛嘆して
大本と道院の全く不思議の神業をよろこび、急転直下、僅か数時間にして大本と道院との提携協力が決定し
神戸道院創設の計画も直ちに具体的に進捗して、同日午後十一時にはもと大正生命保健会社社長の片岡春弘氏が
六甲山山麓の芦屋の別荘を道院開設の為に提供することとなって その準備に出発され
翌五日は尋仁師侯氏に私も同伴して神戸道院の予定地の見分に出発し
その夜は青海楼で盛大な歓迎宴がはられました。

  神戸道院の創設
 翌大正十三年三月六日には侯先生が再び神命によって訪日されて神戸道院の開幕典礼が行われ
一時に入修した者三百余名もあった昭和四年五年には第一次、第二次、第三次の東瀛佈道団の一行が日本を訪れて
日本各地に四百四十 余所の道院紅卍字会が開設されると云う道院の歴史に光輝ある海外発展の実績をつくりました。
私は昭和四年末より五年春にかけて李天真、夏穎誠両会長を案内して
関東、関西、山陰、山陽及び九州各地に道院の御神位を奉斎して、南は奄美大島まで参ったことも当時の追懐の一つです。

  北京総会の乩示で大本検挙の予言
 昭和十年九月私は華北へ特派され、十月北京の総院へ参拝した際或る日密訓があり、数名に書壇で書を賜りました。
私には老祖より「身守力行」の大幅が賜書されましたが、その時「これは神秘で今は洩し得ないが
重大なる神意の存するところである。十二月に至れば自ら之を知るべし」と乩示されたのですが
当時私は余りこれを重大視していませんでした。
この賜書も大して意にもとめず荷物に入れていたのですが、帰国後一週間余りで十二月八日の大本検挙があり
華北から帰ったばかりの私は綾部で拘束されて投獄されたのです。
入獄後十二月廿六日から死を覚悟して断食し、不正な検挙と断固戦う意を決したのでした。
一月四日獄中で静座しておりますと、北京総院で、老祖より賜った
「身守力行」の文字がありありと眼前に現われて見えて参りました。
ここで静かに老祖の示された乩示の御神意を真剣に考えさせられて
初めて神様が自分を御守護下されて特にこの四字を賜った事を悟って
爾来断食をやめて自重し、当局の苛酷な処置にも隠忍して神の御用の時を待つことにいたしました。
思えばこの大試練を前もって知らされていたわけで 
老祖の訓示の偉大にしてあやまたぬ権威を痛感するものです。

 「真善美愛 至聖太乙老祖」の軸も華北からの荷物の中にあった為に没収焼去を免れたのも奇しき神縁でした。
(人類愛善会員)

どうも日本の道院の歴史は 大本の存在を無視しては語れない様ですね

今でも提携は破棄されたとは聞いていません
友好な関係に有ると思います 
以前「紅卍字会の者です 宿泊させてください」と
お願いすると 部屋が空いているときには
(大本の信者と同じ低価格で)宿泊させて頂いたことがあります

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食事ですか? ナイフで口を切っていますよ!

                                             2010年03月20日 | 日記

弁道の随員が田舎者で
ナイフとフォークの使い方も出来なかったのが幸いした? 
らしいのです・・・ってなに?
弁道とは道を宣伝して広めることのようです

この田舎者の随員ってまるで私みたい
山の爺ちゃんに言わせたらきっとこの随員者って
○和さんみたいな人だったろう と言うような気がします

山の爺ちゃんって(秀和先生の事です・・・私にとっては大嶽の山で一緒の食卓で食事をし 
怒られたり褒められたり 実の祖父よりも祖父と言うよう交流が有りましたので 
思い出すと つい 爺ちゃんというような意識になってしまします)

○和というのは私のことです 
本名の一字とそして秀和先生の道名の一字で
山小屋での名前○和と言う名前を頂戴した訳です

さて食事中ナイフで口を切った弁道者の随員さん
全然活躍したようには書いてないのですが
何か自分を髣髴させるような人です
では始まり始まり

 明暗こもごも、太原に宣道の訓名
 民国十三年(大正十三年、1924年)といえば、道院が発足してまだ数年後のことである。
済南母院に鄭嬰芝(ていえいし)という人が居た。後にはこの人の兄弟三人共に統掌級の人物で有名になった。
その頃の先生は、求修(修道の許可を受ける)して間もないことで、朝夕坐誦を励みつつ
堅誠恒の基本を踏みはずさないように、修行に専念していた頃のことである。
母院歳末の壇に於いて「嬰芝、汝は職員一人を伴って、山西省太原府赴き弁道せよ」との訓を賜った。

 嬰芝先生は考えたが、どうも腑に落ちないことは山西省は噂に聴く程度で
首都太原府などは夢にも見たこともないところで、従って誰一人知る人など無かったのである。
 そこへ行って弁道せよと仰せられるのであるが・・・思案しつつもまあ行って見よう、
老祖様が付いておられることだから、何とかあるだろう、と大船に乗った気持ちになってはみたものの
当時、発足して間もない頃の道院経費は、雀の涙ほどのもので、歳末の混雑する三等車に揺られながら
山東省済南から北京に出ただけでも容易ではないのに、更に長城線の嘉谷関を越えて、山西省に向かったのであった。
 当時の三等車は、いわゆる苦力(クーリー、労働者)の乗用車で、汗と油で固まった肘掛にもたれていると
いい加減南京虫の餌食にされたものだった。

 そうした長途の旅の居眠りの中で考えさせられたことは、こうして費用節約を目的として、苦力仲間に入っての行動は
見よう考えようによっては、洵に奇特な宣闡行ではあるが、この一昼夜以上の旅で、無言の行は無意味であるし
そうかといって苦力相手に道を語り、もし賛成者を作ってみたところで、食うことに追われている文盲の徒には
自らを修め人を渡することなど、考えることは勿論、行なうことなど到底できるものではない。

 これを若し一,二等車に座席を取った場合、そこに坐る者は一応社会の上流階級で、文章も読めるし
哲理の解明も何とか可能な教育を受けている。
こりゃあ汽車の中を無駄にしない意味でも、一,二等車を選ぶべきであったと考えたのであった。
従って太原府に下車したら、断然一流旅館に宿泊し、一流の料理を注文して、豪華に振舞うことにしよう。
吾等は、全大宇宙の主神の直弟子じゃないか、その主神の大命を奉じて地方に使いする者が、安宿に居たのでは
主神の面子をはずかしめるものだと考えたのであったが、随員君は予算が無いことを主張して一歩も譲らなかった。
しかし嬰芝先生は太原府に到着すると、洋車(やんちょ、人力車)に命じて
太原府では最も有名な一流旅館に行くことを命じたので、車夫は、太原府最高級の正太飯店に梶棒をつけたのであった。

 随員君はひそかに思った。嬰芝先生こんな派手なことをして、勘定をどうするつもりなんだろうか。
寂しい懐中の具合を知っているはずなのに、とひやひやしながら嬰芝先生に従って
山西随一の正太飯店の一室に納まったのである。
誰一人知る人とて無い太原府の街を、嬰芝先生は共を一人連れて、毎日見物に出かけていた。

  ある紳士の出現
 三日目の朝のことだった。食堂に出て洋定食を摂ったが、随員君は全くの田舎者で、その食べ方も知らない。
ナイフを口に持っていったりするものだから、遂に口元を切ったりして、その様子を離れたテーブルから眺めていた紳士が
その所作のおかしさに思わず拭き出したりした。
嬰芝先生はたまりかねて「お目をけがしてまことに相済みませんが、田舎者のことですからどうか
お笑いにならないでください」といった。
 その言葉にその態度が極めて自然で、そしるでもなく、いましめるでもなく、実に好感の持てる態度であったに違いない。
先程の紳士は「あなた方はどちらからお出でになったのですか」
「はい山東省済南府からです」「山東からはるばると何があって、この山奥に
御出張になりました」と親切丁寧に尋ねたのであった。

 「私は、道院に奉仕する者ですが、このたび山西省太原府に行って(弁道)せよと、壇訓によって、
宇宙神老祖の命を奉じてやって来ましたが、何しろ当地には一人の知人もなく
ただこの二,三日をブラブラ街の見物に日時を費やしているばかりです」
 「おう!弁道ですって・・・。その弁道について語ってくれませんか」と
何か弁道といったその言葉に、ひかれるものを感じたものの如く、顔色を緊張させての質問であった。

 嬰芝先生は静かな落ちついた態度で、数年来済南に起こった道院、紅卍字会について説明を加えるのであった。
 道院と紅卍字会というのは、神の啓示に基づいて近頃(民国十年=大正十年、1921年)中国で興った団体であって
道院は修養を目的として、世界紅卍字会は慈善事業を目的とするものである。
而して道院と紅卍字会は表裏一体の関係にあって、一方は内面的に修養を行なうのに対し
紅卍字会は外面的に慈善活動を行うのである。即ち道院は体であり、紅卍字会は用である。
言い換えれば道院は霊であって、紅卍字会は体であるとも言える。
その一切の貴重な経典と綱則章程は勿論、役職の任命、組織その他の活動に至る迄、悉くが、神示に基づくものであって
民国四、五年(大正四、五年 1915,6年)の頃より今日に至るまで、無数の神示が垂示され
道院の者は何れも神示のまにまに活動し、人意の及ばざる所、又は人心を以って判断に苦しむところは
一々神示を仰ぎ神意に基づいて活動するので、神人一致の活動ということになるのです。

 中国には古来道教(老子の教え)が広く信仰されているが、道院は道教ではなく
一切の宗教を超越した宗教を啓蒙しようとする団体であり、宇宙の真理を究明する最高学府である、と明示されている。
 神示によると、今や世界は終末期に当り、人類初め万物は壊滅の危機にさらされているのを憐れみ給うて
諸天の神霊はその惨状を見るに忍びずとして、宇宙の主宰神にまします

至聖先天老祖神に懇請し、大道の真諦を伝え、人類存亡の根本義を解明し、有形無形の災難を救済する根本原理を明示し
人心を清めて神に帰せしめ、恒久和樂の大道世界、即ち人類の待望久しき地上天国を建設せんがために
神意により創設せられたのが、道院と紅卍字会である。

 道院の特徴は簡単に言えば、第一は、万教同根であること
 古来、世界の東西各地に種々の宗教が興ったが、大を為した多くの宗教は
皆宇宙創造の主神即ち宇宙の命を奉じて現われたもので
釈迦、クリスト、孔子、マホメット、老子等も、それぞれ主神の命を受け(発願して)、神の道を体得して
その時代、その地方、その環境に応じて教を説いたものである。
宇宙根本の実在である主神を、各宗教では夫々の名称を以って呼んでいるが
道院では最高至尊という意味で、五大教主(耶・仏・老・回・儒)が協議の上で奉った御名が、

至聖先天老祖の聖号であり、普通には略して
老祖と要し上げて居るわけです。

その神観は時代により民族により、多少異なるところがあっても、結局は根本的理由があって違うのではなく
其の時、其の地方、其の環境等によって違ったのであって、本来は一つの統系に属している。

それ故に道院では
至聖先天老祖を主神として奉斎し、之に配するに、キリスト教、仏教、道教、回教、儒教等
世界に擱ける五大宗教の教主を祀って万教同根の意義を解明し、率先してその実を示しているのである。
之は五大宗教に限っているわけではなく、万教を代表して五大宗教を挙げた、という訳なのである。
 道院修養の特徴は、修養と慈善事業の並行的実践にある。

 即ち大道の修養が直ちに慈善事業に結びつくことである。
修道が進むに伴って、慈善事業が一段と進めねばならない。
従って慈善事業の伴わぬ修養は完全ではなく、修養に基づかぬ慈善は、完全ではないということになるのである。
道院では、この事を(内修外慈)と又は簡単に(道慈)と言っている。
即ち道慈は道院に於いては実践活動の鉄則であるというべきである。
それ故に、道院紅卍字会とは何ぞやと問う者があれば(道慈であり、道慈の他に何物もなし)
と換言しても差し支えないと言うも過言ではないようである。

 この原則が道院の団体組織のも表現でられて、その修道の内修機関が道院であり
その慈善事業である外慈活動機関が即ち世界紅卍字会である。
と一気に嬰芝先生は初めて見る食堂の相客に対し、道慈の根本について物語ったのである
客は一枚の名刺を差出でいうには

 「嬰芝先生!私は山西省銀行総裁の徐子成(じょしせい)と申します。
先日来幾度もくりかえして亡母の夢を見、東より不日弁道者がやって来る。
その弁道者をお前が助けることによって母は今居る幽界から脱出して、光明の世界に昇天することが出来る。
と申しましたので、妙なことを言われるものだと思って居りましたが不思議な邂逅によって
大道を説き給う先生にお目にかかることが出来ました。
私は毎朝散歩のついでに、このホテルに立ち寄って朝食を摂ることを日課として居りましたが
これは母の導きであり、大いなる神のみ恵みによるものと、今始めて知ることが出来ました。
これより先何日でもこのホテルに滞在されて道を説いて下さい。
一切の費用は私が支弁します」といって、ホテルの支配人を呼んで其の旨を伝えた上
「先生若し今後外出されて、街の見物中にあらゆる建物をご覧下さいまして、いかなる大厦高楼でも結構です
これならば山西道院にふさわしき建物と思し召したものがありましたら、即刻私にお知らせ下さい。
私は其の建物を十日以内に入手して、先生のために道院を創りましょう。
そして私もお仲間入りさせて頂いて、大道宣闡(せんせん)のためにつくさせて頂きましょう」
と真剣な表情をその かんばせ にたたえて、嬰芝先生の手を握ったということである。

  山西道院の成立
 山西モンロー主義を唱えて、西北支那の辺境地区に、鎖国の王者を以って任じていた
閻錫山(えんしゃくざん)の夫人の叔父に当る人で、山西の財政を一手に左右していたのがこの徐子成大人である。
この大人が求修(修道を願い出る)して道名「得一」と賜り、音頭をとって、嬰芝先生の許に人を集めたため
山西の王者閻錫山夫妻が求修し、政府高官悉く道を聴くに至ったので、忽ちにして山西道院が創建されたのであるが
化機一たび開けば、疾風迅来するが如く成就するものであって、人事はこれに追随するにいとまない程であった。

 嬰芝先生が命を奉じて山西に赴いたのは、十三年の暮れであるが、道院の成立は半歳後の初夏の候であった。
徐子成(道名得一)首籍統掌を拝命したが、いうまでもなく前世の深き宿根に縁るものであって
山西に道院を創設さるべくして用意されていた人物であることを、道院開設の日の乩壇に於いて
得一統掌を推賞する言葉は尽きざるのもがあった。

 そしてここに至るために、霊界から応援された母君に対し、
老祖さまは特命を以って、菩薩の位を賜り、南海大士(観世音菩薩)にその身の指導を託したのであった。

昔は神さん随分身近なところで面倒を観て下さっていたのですね
壇も色々な壇があって
生活のことなども答えて下さっていたこともあるらしいです
そのうちにまたそのようなことも紹介してみたいと思っています

とにかくこのエピソードでは得一さんとお母さん めでたしめでたしですね
得一さんはこの道院創立者で維持者となれば真人まちがいなしでしょう

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大変! 帰宅途中で心臓麻痺

                                            2010年03月27日 | 日記

日本紅卍字月刊の1969年(昭和44年12月号の記事より)

道院の事務をなさっていた方が 
道院よりの帰宅の途中で心臓麻痺により
1969年10月14日 帰道(死亡すること)
したと言う事があったようです

此の事は山の爺ちゃん
から少し聞いたことが有りますので
アアあのことだなと思ったのですが

要するに道院の事務をして道の為に一生懸命働いていた方が
路上で亡くなる等とは けしからんと言うのが
秀和先生の言い分な訳です 

と言うのも日本では昔から
良くない生活や、悪いことをしてきた人を見て
あいつは畳の上では死ねないやつだ 
と言うように見下す様な習慣があります

そこで此の事務の人が路上で倒れたというのが
爺ちゃんには我慢が出来なかったのでしょう
神さんに抗議するような積もりで
呈判文(神さんにお伺いをする文章)書いた
と言っていました

それに対する黙真人(いつかこの方のことも書こうと思っています)
のお答えが 少し長くなりますが
其の年の 12月号の月刊誌から 書き移します

○○は帰道した。
 生前。日本の道慈に服務し、ここ五年、心を尽し、力を竭(つく)し
一切の打撃を甘んじて忍び、能(よ)く修めて怠らなかった。
功行の在る所、枢冊(賞罰に値することを記しておく枢府の記録簿)では、時に応じて記録をなし、消えることは無い。
ここに日本の習俗では、道路で急病死したものは不善の人であるといい
又不善の結果だというが、それは未だ因果劫数清算のわけを知らないからである。

 ここに、
老祖の命を奉じて、大略解釈しよう。
吾々はこの世に生まれて、各聖神仙仏が発願して、世を度(すく)うために
この世に降って生まれるような特別の人を除いては、皆輪廻にしばられているのである。
その人の因果の軽重多寡は、自然の原因があって自然の結果を得るものである。それは定まっていて変ることはない。

 ただ、大善、大悪の者は改め、変ることがある。
袁了凡(此の人の事も何時か書きます)は
自分が親しく身体を以て実行し、経験したので、善をなして定数を化すことの実際の証拠を作ることが出来た。
言葉を換えて言えば、人生は誰でも、マイナスの因縁を持っているものである。

冤罪を受ける責務
(こうして見ると 冤罪が晴れたと言っても 威張って冤罪を掛けた人を裁く様な事をしては
 折角弁済した因果を 又積み上げる様なことになりそうですね)
子供に対する責務など知っている人もあろうが、その他にもいろいろある。
すべて友人に遇(あ)ったり、夫婦親子が一緒にいる事も、皆、縁があってのことである。
だから、どんな痛苦困難があっても、又喜びや怒りを受けても、そこには皆、吾々の知らない願因が有るのである。

 例を挙げるを、因縁債とは、男女の癡(チおろか)、嗔(シンいかる)、貪(トンむさぼる)、恋(れん)、を包括し
追討債とは、金銭物質のだまし、ごまかしを包括し
痛苦債とは、気が不順で、お互いに争い、罵り合い、憂うつ、不安になることを包括し
又性命債は、最も厳しい惨酷な打撃を受けて、その為に魂までも散らばってしまう事もある。
このように色々あって、一々例を挙げるわけにいかない。

 道を修め慈を行い、功を立てて行いを善くする。
そして因を免じて、候を進める。
因を免ずるとは、過去のすべての因を免ずることであり、候を進めるとは、修悟の功候を進めることである。
功候の成ずる所があっても、前世からの悪い因縁が残っておれば
必ずそれを清算して上で、はじめて果位(帰道して後の枢府での位)をいただくことが出来る。

 一方に自分の努力があり、もう一方に仙仏の授(たす)けがある。
然し、その差がひどすぎると、仙仏もまた
愛していても助けることが出来ない。
たとえば、ここに五千万円の債務があって、現在、五十万を支払った。
そしてその数を清算しようと思っても、人間の裁判官でも亦、許すことは出来ないだろう。
そして仙仏も、よく私を曲げて、之に従うことが出来ようか。
智者を待他なくとも、明らかである。
 
 今、○○は、道路に倒れるという劫に応じて、因果の数を清算した。
だからその功を奨することが出来たのである。
必ず、この災難に合わして、因果のある所、こういう風にしなければ
輪廻をのがれて、清算することはできないのである。

 已(すで)に○○真子
(真子とは枢府での位の事、その上は真君、そして真人・・真人は大真人等あるが 真人は真人)の果位に封ぜられ
枢府に在って、各真人に随って、働いている。
再び功行を積み、将来、位が上がった時に、位をつくり、祀(シ、まつる)霊室におまつりせよ。
その家族は、悟天「出口宇知麿(でぐち うちまる)(1903年 ~1973年)は王仁三郎の三女・八重野の夫。本名は伊佐男。
宇知麿は大本名。宇知丸とも書く。旧姓・佐賀。(佐賀伊佐男、出口伊佐男)」に命じて面倒を見よ。
又、東京総院の熱誠なる道慈の各修方も叉、家族に対して
なんらかの表示をするように、各々、之を知って、悟り勉めよ。

フーチの有る頃はこんなに 神さんが親しく教えて下さっていたのですね 
フーチを求める気持ちはわかりますね!

ところで黙真人さまは この方の家族の面倒を見るよう 大本のお偉いさんに命令していますが昔はこんなことも有ったのですね 

このころ出口王仁三朗師は霊界で修養して 霊績(セキ、つむぐ)真人 という果位を頂いていますから 
黙真人さまとしては 出口王仁三朗師は兄弟弟子で 兄弟弟子の 
弟子は自分の弟子同じ と言うような感覚だったのでしょうか

それとも 此の道院の事務に携わっていた方が大本より派遣された方だったのでしょうか

私は詳しいことは知りませんが此の様な訓文を見つけました

ここまで書いてやっと気がつきました 
此の方のご子息を知っている事に

さすがですね 
蛙の子は蛙、いやこの場合は親子鷹というのでしょうか?

私は此の事務をなさっていた方は人生の成功者だとおもっていますが
ご子息は経典の翻訳をされています
先例からすれば この方は真人の資格があると思うのですが

この方の日訳した経典は英訳真経
つまり中国語から英語に訳した真経を(太乙北極真経を開設した演経録というもの)日本語に翻訳したと言うものです

この英訳真経は神、人共に待ち望んでいた物でした
何故なら道院を西洋文化圏に広めるために不可欠なものであると思われていたからだと思います
 
そのような訳も在ってだとも思いますが
英訳真経の翻訳者は帰道後に真人になりました

いまこの時とは必要性や時代背景も違いますが
この方の道院を思う気持ち(道を広めて世界の平和安寧等に貢献したいと気持ち)はとても尊いものであり
英訳をした方と同じように評価されるべきものだと思います

まあ真人との評価をされなくても真君は当然だと思うのは
私だけでしょうか

というわけでこの親子鷹はめでたしめでたし
と言う訳にはいかないのです

このように神様に評価されて御褒美を頂くと
それからが危険なのです
危険というのは 喜怒哀楽を慎まなければ
大変なことになることが在るからです

特に怒(怒り)には注意ですね
この方は正義感が強く道院を正しく導きたいとの思いが強いですから
不正や曲がりを我慢できないようです

どうか怒りに吾を忘れるようなことがない事を祈ります

あまりに酷い怒りはその人を帰道(死亡)させてしまうことがあるのです
その実例も日本紅卍字月刊で読んだことがあります

なるべく早いうちに怒りについても私の体験談と共に
書いてみたいと思っています

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怒りの刃は最初に自分を殺す!

                                            2010年04月03日 | 日記

本当のことです 
修養が進んでくると怒りは自分を最初に倒してしまうのです

私の経験をお話しましょう
幸いと言うべきか 残念ながらと言うべきか
私はまだ修養が 半端なときでした
まだ三十歳台半ば 大嶽にいた頃のことです

大嶽はその頃 寄修所
(道院になる以前 道院を創りますからということで道院になるには未だ条件を充たしていない時に寄修所として許可されます)
であった頃のことです

尋ねてきた客人の中に 
大日如来が憑いていると言う人がいました
もう多摩寄修所になって 
毎日 太乙北極真経を合誦していた頃ですので
変な霊など憑いた人が 来られるはずが無いと思っていました

ですから丁寧にお相手をしていたのですが
それで図に乗ってきたのですね
何か変なことをいうようになって来ました
どうもおかしいなと思って
「老祖様のことをご存知ですか」と 聞いてみると
「知っている あれはたいしたことの無いやつだ ワシの弟子だ」
と言う

ここで 私が爆発してしまったのです
「偽ものめ! 出て行け~ お前の来るようなところじゃない ふざけるな~!」
怒鳴りつけてしまいました

驚いたのでしょう
その客人はキョトンとして憑き物が取れたように不思議そうにしていました
その後は至って尋常でした

その人は良かったのですが
私はその後 少し疲れたりすると声がかすれる様になってしまいました
大声ではあっても喉を痛めるほどではなかった筈です
私はこのとき沢山の霊を放出してしまったのでしょう

声と霊には深い関係があって
人間が完成してくると
綺麗な声になると言うことを着たことがあります
その意味では 私は修養がだいぶ
後戻りしてしまったということが言えるでしょう
でもまだ死亡しなかったことは幸いでした

日本紅卍字月刊で読んだ覚えがあるのですが
台湾の修方(道院で修養する人のこと)が
息子か、娘婿だったかが何か失敗をしたかとかで
物凄く怒ってしまった(この記事は見つけたら書きます)
そうしたら死んでしまった
まだ寿命があったはずなのに

それで神様がフーチで説明して下さったところによると
丹を焼いてしまいそうになっていた
(そうなると廃人になってしまい、薬も修養も手立てが無いとの事)
ので救うために帰道(死亡)させたとのことでした

神様って その人を救う為にその人を殺しちゃたりもするんですね!

私の場合この人と違うのは
怒りが一瞬で治まりまた修養も初級者だったからというのが
幸いしたのではないでしょうか
ズーット腹を立てっぱなしだったら私の場合もどうなったか
それを思うと寒気がします

皆さんも怒りが湧いてきたら
その問題が自分を破滅させるほどの問題かどうかを
冷静に考えて下さい
自分が死ぬほど危ないこと
また殺されるほどの攻撃されている訳でもないなと思ったら
少しは冷静に慣れるでしょう
その様なことは現実には非常に少ないことだと思います

本当に心身に危険を覚えると人は怒りよりも
恐怖が先に来るのではないでしょうか
避難行動が先に来ると思います

とにかく怒りが湧いてきたら冷静に
腹を立てないように気をつけましょう
怒りがあると適正な行動も出来ず
自分にとってマイナスな結果を招きやすいと思います

このことは人事ではなく
これを心がけるように言われるべき人物は

先ず最初に私自身でした!

アーット今では私の声は疲れても
かすれることがなくなりました

今度はこんなことをブログに書くというと

きらく仙女さんが言うには
怒りで私が失ったのは下丹のエネルギーだと言うことでした

今まで下丹を充実させようとしたことは無かったのですが
昨日 下丹が充実していないなと急に思えてきました
それで坐のパターンを少し変えてみたのですが
上手く言った感じがしました

そうしたら今朝は
私の下丹は一番充実していたときの
80%位に回復しているとの事でした

この方法は本気で真人クラブに書いてみようと思っています
ここで書かないのは意地悪をしているのでも
法を惜しんでいるのでもありません
純任自然と言う方法が身につく前に
この方法を知ると少し危険だと思うからです

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修期

                                     2010年04月10日 | 日記

道院に求修してから知った言葉に修期というものがありました
道院の興亡についての予言かなと最初は思っていたのですが違うようです
記事を見つけましたので紹介します

修期の変遷(炁龍子さんの文より)

大道を修め、泰平に導く基幹を四期 六十年と神定め給うたようである。
道院が開設されたのが大正十年(1921年)、それから十二年を訓修の時期と言った。
此の間は実に神の指示が頻繁で、戦々恐々としてその旨に随わんことを念願し
堅誠なる修方は、恒心を以て修道し、功候を積み重ねていったようである。

 道院は、中国の山東省に興起し、爾来燎原の火の如く大陸を風靡したものであった。

 それから行修(ぎょうしゅう)十二年の時期その頃は最早全国の修道者が、神の啓示に基いて相応の経験と実践を経て
道慈の推進と院会の維持、基礎を固める等のことに対し、そのこころに得たるところのものを以て
実行に移せば何等の誤謬も見出すことがない迄に、確信ある行動を打ち出すことが可能なようになっていた。
事必ずしも道慈の面だけでなく、一般の人事であっても、功候の切磋琢磨によって神示に依存することなくして
事を断じて行くところ可ならざるはなしとまでいわれたものだった。

 渡修期は、昭和二十年立春から本年(昭和四四年、1969年)の春まで、何たる混々迷々たる二十四年であったことか。
この渡修期に於ける修方は、重点を人間社会に置いて、その体験を基礎とし、悟り得たところのものを以て
人々を導き感化することを目的とした。
過去に於て示された真理を、相互に能く研究して修練すれば
光明世界を顕現するに充分な資料が積み重ねられているので最早扶乩を以て新たなる訓示を仰ぐ必要はないと
しばしば示されているので、渡修期が過ぎれば
扶乩は自然に停止されるのではなかろうか。
しかし若し突然乩壇を停止したとすれば、各修方は拠りどころを失ったような感懐を以て
精神的に多大の乱れを来すことは明らかである。
だが機数(神界の経綸に基くはからい)によるところのものを以てすれば
永く違反することは不可能であるようだ。

 化修期は、本年(1969年)立春から十二年、昭和五十六年(1981年)の立春迄というのである 
この最終段階を迎えるに当って、賜った訓文を恐れかしこみながら拝読してみると
けっして烈しい口調でいましめてはいない。
平といえば平、凡と言えば凡なる言葉ながら、味わえば馥郁たる風味を以て、千載に通ずる教訓を垂れている
。痴迷の愚に恋々として、俺は玉、お前は石よと言い張っていても、大災劫一たび来たれば
玉石の別なく全滅することに気付くことがたいせつである・・・・と。    ・・・・・

とこのような記事ですが
と言う事は 今はもう修期のいずれにも当てはまらず
道院としては 終ってしまっているのでしょうかね?

いや そんなことは無いはずです
道院の古い修方は誰もが聞いている事に
道は東瀛(日本)より再度隆盛になるという神界よりの予言があります

そしてそれまでは自然界にも冬という季節があるように
どんなに頑張っても芽の出ない時期というものがあるのだとの
予言もなされています

ところで訓修期の頃のことだと思うのですが
問事壇というものがあったようです

問事壇 (炁龍子)
今は昔、各地の道院に於て、修方が自ら解決し得ない諸問題を、
老祖様に伺うことが出来た時代があった。
近頃のように世相不安、人知を以て左右を決しかねる事情が起こったときなど
私事と雖もつぶさに御指導をいただければ、どれ程修方の心を安んずることが出来るかもしれないと思うことがある
。こうした壇を問事壇と云ったのである。

済南道院の或日の問事壇に於て、一修方の使用人である農夫が
自分が預かっている農耕用の牛が盗まれたのか、逃亡したのか、行方不明になったことを訴え
其の処置について伺いを立てた。

それに対して一処方箋を賜わり、その農夫に薬を与えよと云う事であった。
おかしな話だと誰しも思わざるを得なかった。
盗まれたのか逃亡したものなら、その方向を教えて頂き度いとお願いしたものであったのだが
何か間違いではなかろうかと疑いつつも、兎に角賜わったものだから毒にもなるまいと
処方箋に基く漢方薬を作って貰って服用させたのである。

その夜の農夫は、下痢をして小半時(三十分)毎に便所に通った。
夜半便所の窓からフト外を見ると、牛が立っているのを発見した。
農夫は夢中で飛び出して牛を捕まえて牛舎に引き入れたが、思うにこの牛は盗まれたものと判断した。
逃亡した牛はなかなか帰って来ようとはしないものだが、盗まれたものは隙を見て我が家に帰って来る。

老祖様は捕まえるべき方法を示すに処方箋を以てしたなどは、全く人智の及ばざるところである
。農夫が便所通いでもしなかったならば、折角戻って来た牛も発見だれずに又、盗人の手に戻されて終ったかもしれない。
と一同語ったものであった。


訓修期っていいですよね~!

私は道院創立百周念の2021年以前に
道院の冬の時は 過ぎ去るものと確信しております

私は その冬の後に
真訓修期とも言うべきもの修期が来るものとと考えています
真訓修期については 
そのうちにに書こうと思っています

炁龍子さんて秀和先生のことのようです

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太乙正経午集日訳を活用

                                            2010年04月17日 | 日記

私は今年になって太乙正経午集日訳を
読んで4回目です

昔 林木先生の日訳を読み
きらく仙女さんの最初の日訳を書き写してから読んだ
そして去年 校正を任されて 読んだのも入れると
全部で10回目でしょうか

意味が全部わかっているなんでとんでもないです
しかし最後までサーット読んで
次の回になると 前回解らなかったところが
時折 解る所があるようになってきました
読書百徧而義自見(ドクショヒャッペンギおのずからあらわる)
と昔から言われている事ですがその通りだなと思っているしだいです

それにこの太乙正経午集日訳は経典全部を読むと
解るようになるように参考解説に工夫を凝らしてあるとの事です

ですから 最初から全部解らなくても良いのです
サーット読んで経典の雰囲気を感じ取って下さい

ところで
太乙正経午集を何百回も誦経した人がいると聞きました
非常に素晴らしいことだと思いました

その様な方がこのブログを読んで下さっていましたら
提案があります
というよりも
太乙正経午集日訳をお持ちの方々に提案なのですが

太乙正経午集を誦経するには最短でも2日位は掛かりますよね
(1日で誦経した事もありましたが)
太乙正経午集誦経は大変なことです

それで出来れば道院に行ける日
1日で良いと思うのですが誦経をするようなつもりで
参経してみてはどうでしょう

一人でも良いですし 二人が揃って参経したらもっと素晴らしい
そのときメモを用意しておいて
気になったところや
意味が解ったところをメモにチェックしておきます
ページ番号を書いておく程度でよいでしょう

そして後でここが素晴らしいと思ったとか
ここはこんな風に思ったよ ここはこんな感じかな~
等と思ったことをお茶でも飲みながら話し合ってみます

それって何だと思いますか 実はそれが合研なのです!
別に合研をするんだ~ と気合を入れてするばかりが
合研ではないのです

お茶を飲みながらというのは例えですが
そのくらい気楽に 話し合えばよいということです
別に正経のここが正しいここが間違っているという事を
確定するのが合研ではないのですから

合研はあくまで自分自身の 坐に対する知識を深め
経典に親しむだけで良いと思うのです

坐が身についてくれば 

老祖様もおっしゃておられるように 坐はすべてを悟る!
という状態に進んでゆくわけですから

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道院 その明るい100年ビジョン

                                            2010年04月24日 | 日記

2021年は道院創立100周年になります
私はそれ以前に 道院の冬の季節は過ぎ去り
真訓修期とも呼ぶべき 修期が始まるものと思っています

道院の修養は輪廻を解脱して 神仙仏真人に成る為の修養です

きらく仙女さんのお蔭で 修養のマニュアルも整い
字が読めて誠実に修養すれば
誰でも神仙仏真人に成ることが出来るはずだと私は思っています

道院の経典は 物理の教科書のように
こうすればこうなると言う様にまるで 唯物論のようです

経典によれば私がその一部を
永遠の生命安心の1~7 で紹介したような方法で修養すると

任脈と督脈が通じ 其の後すべての経脈が活発に滞りなく通じ
身体を整え ついには虚室に白を生じ(中丹の所に白光を見るようになる)
それから天目が開き そして天耳が通じる

其の後は坐中に自分の体より霊体が抜け出すことが出来るとの事
もっとも出られるようになっても100日は部屋から出ないようにと
経典には書いてあります

若し貴方がそうなった後はどうしますか
つまり100日の後

若し私だったなら 道院の修方を導いて下さる
神霊を捜して
地球の妙山(地球の道慈の中枢基地)に行きます

そして これからどの様に 修養していったらよいか
また 道院をどのようにしていったらよいか
お伺いします

私は 神さまは何でも教えて下さるものと思っています
この時こそ 真の訓修期ではないでしょうか?

私はこのように 神さまに何でもお伺いできるまでの修養が出来た人が
2021年までには 出て下さると思っています

私も 修養を怠けるつもりはありませんが
私は 兎に角進歩が遅いですので

今からこのブログを読んで修養を始めた人でも
私よりは早くに成就する様な人もいるのではないかと思っています

若し私が何でも神さんに教えを受けられるように成りましたなら
私は 同じような人を出来るだけ沢山養成します
そして其の人たちにもやはり 神さまに教えを受けられるような人を
養成するように話します

その様にすれば一人が10年で
10人位は養成できるものと思います

計算上は一人が10人を養成できれば100年で1億人になるはずですが
いや 10億人ですね
10人を養成したらそれだけで止めてしまうと言うものではないでしょう
多分計算上では地球の人口を超えてしまうでしょう
しかしそれでは現実的ではありませんが

次の100年目の 道院創立200周年の
2121年にはどの様な世界が待っている事でしょう

それを思っただけで私はワクワクします
きっと 世界の人口の100人に1人ぐらいは
神さまに直接教えを受けられるような人に成っているのではないかな!

きっと国境なんて意味の無いものになっているでしょう
たぶん霊体だけでなく
肉体のままで意のままに何処にでも行くことが出来るような人も
沢山いるようになっている事でしょう

私はどうしてもその様な世界を見てみたい
誰か 早くその最初の一人になって導いてください!

私も勿論怠けるつもりはありませんが

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異常な人性 良くする方法は?

2010年04月30日 | 日記

きらく仙女さんの日記に  「異常な人性」  という題でイラク戦争時の
恐ろしい人間性の異常さが紹介されています
其の全文を 了解を得てここに載せます

39)異常な人性
昨日 TVのとくダネ という番組で
イラク戦争の際の 米国軍の虐殺フィルムが報道されていました

ヘリコプターを使って 1キロ離れた所から
カメラを持ったプレス関係の人や 居合わせた子供たちも
懸命に逃げてゆく人 倒れている人に対しても
30ミリの機関砲(戦車を攻撃する武器)で
ほとんどゲーム感覚で 次々と撃ってゆくシーンです

そのヘリからの映像が記録されているわけで
「今のは 上手いショットだ!」 「どうも」
「早く 射撃命令を出して下さいよ」
等と云うやりとりも入っていました

それは 最近インターネットで流されたとの事でした
けれど 米国民は あまり関心を示さないらしく
現在はイラク問題よりも アフガニスタンの方へ
関心が移っていて 今更 過去の出来事を持ち出すなよ
という印象だ とリポーターが話していました

経典の中に 「性は最も 習遷しやすい」 とありますが
仏性とも言える 誰もが元々持ち合わせている筈の善良な性質は 
それ程までも減少 或いは昧蔽されてしまうものなのでしょうか・・・

戦争という状況が 人の感覚を異常にするものだと言うのは
詭弁に過ぎません  なぜなら
その戦争を引き起こすのは 人心に外ならないからです

*****

皆様は どの様に お考えでしょうか?



この問題を解決する
現実に有効な方法を提案できる
人又は機関、組織、宗教団体、その他どの様なものでも
あるでしょうか

私には思いつきません 何処にもないのでしょうか?

時間が掛かるかもしれませんが唯一有効と思われる方法を
私は提案できます

昨日 仏性というものを
きらく仙女さんに解説していただきましたが
私が理解したことは

生命が産まれた時の元々の性質は
仏性ともいうべき天性を備えている
それが後天の世界に生まれて 生きているうちに欲望の為に
天性が汚染されて
自分の利益 自分の生存の快適さだけを求めるような
性質となってしまう これを習染と言い

これを元の天性に戻すのが修養だと

さて性格、性質を変えるということはどのようにして出来るのでしょうか

宗教では反省すること 
滝に打たれて修行する等 色々方法を提案すると思いますが

道院の理論からすれば
それで性格、性質を良くするのは不可能だと思われます

性格、性質を良くするには
先天炁を取り入れなければなりません

炁というものが有効に入ってくるのは
虚が在る所、素系する所にしか入って来ないのです

何故 炁が入ってくると性格、性質が良くなるかというと
元々の炁が充分に有る状態が
天性(仏教で言えば仏性)の状態であるからです

炁が充分に入ってくれば天性が回復し
自然に良い性格、性質になります

そしてそのくらい つまり性格、性質が良くなるくらいまで
修養が進んでくれば
脳髄孕天と言って脳を正常に回復させるようになってきます
頭も良くなってくるようになるのです

先天炁を取り入れれば 性格、性質が良くなり
頭も良くなります

そういう訳で地球人皆が先天炁を取り入れれば
人類全体が レベルアップされて

政府が戦争を始めようとしても
どのような目的で 民衆を扇動しようとしているか
誰が戦争で利益を得ようとしているかを見抜いてしまい
思いどおりにはならないでしょう

道院の修養は先天炁を取り入れことです
其れが有効なことは この後20年を待たずして
一般にも理解されるようになるでしょう

其のとき貴方は もう其の修養を始めているでしょうか
それとも其の修養で 見本のような人になっているでしょうか
または 周りの人が次々と神仏仙真人に成るのを
見てそれから修養を始めますか?

道院の修養法の一部は私の昨年のブログを編集した
gooのブログ 永遠の生命、安心1~7に紹介してあります

この方法は年齢が いくつになっても有効です
半分成功しても寿命が延びると言われています
寿命が延びたらまたその延びた寿命を有効に生かして
神仙仏真人にまで 成ってしまいましょう!

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神化呪

2010年05月08日 | 日記

神化呪と笹川良一(道名 正謙)前の道院統掌についての記事を見つけましたので紹介します

 古来、日本の古神道に於いて、あるいは仏教特に真言密教の中に、多くの呪文のあることを聞かされている。
何の意味かを解し得るものは殆んどないが、其れはそれぞれに属する神仏との約束による
言霊の働きによるものに他ならない。
 吾が院会にも幾多の呪がある中で、神化呪は、老祖様のお言葉によって、天地の神々を総動員する言霊であるから
これは非常の際に用いよといわれている。

 しかし正謙会長は、これをしばしば用いられて、いや実に神徳あれたかなのには驚くと、幾度か聴かされて恐縮している。
 一昨年だったかアメリカ行きの飛行機でシスコの上空が霧で着陸が出来ない
神化呪を一心に奉誦すると間もなく雲霧は消散したと。

数日前の話では、大阪の自宅の女中さんが、二匹の犬を可愛がっていて、殊に一方を偏愛していた。
 その愛犬が外物(毒の入った物)を食べて、死にそうになった
。医者を呼んで診断させて注射その他の手当てを充分にしたが、既に瞳孔も開いて終って駄目です
と医者が宣言すると女中さんは泣き出してしまった。

 会長は憐れに思って、神化呪を奉誦すると、死犬は三尺(90cm)も飛び上がって「キャーン」と一声吠えたかと思ったら
そのまま生き返ってしまった。

 いやあ、驚いたのはこちらだ。
神化呪の御利益は大したものだねえとおっしゃっていたが、正謙会長の無邪気な慈行に
総動員された神仙諸仏は苦笑されたことと思う。

 この神化呪は暗記していて、絶対絶命の際に用いられる様にすることがたいせつである。(炁龍子)

 これは先輩に聞いた話ですが
らい病が今ほど解明されていない時のことだと思うのですが
らい病患者を抱きしめて励ましていたようです
今でも勇気のある行動と思う人は沢山いると思います
そのとき他の人(お付きの人でしょう)には君たちはまねをしてはイカンと
言っていたそうです
そしてやはり少しは怖かったのでしょう
神化呪を小声で誦えていたそうです

 このことを観ても神化呪をよほど信じていたのでしょう
また神さんを近しく思っていたのは間違いないと思います

 笹川会長が道院に求修した時のことも月刊誌には書いてありますので
いつか書こうと思っています

 神化呪は以前は道院の修方が12名以上揃い尚且つ 
道院統掌の指揮統率のもとでのみ奉誦が許されていました

 現在は非常の場合は許されることになっています
私も大嶽で毎日練習させられて暗記しています
この呪文を練習するときは
練習させていただきますと声に出して言ってから
練習するべきでしょう

 また実際に非常の際に誦えた場合は
最後に集合して下さった神さま方に
お礼を言い、その後どうぞ解散して下さいと
締めくくるべきだと思います

 この他 道院でいつも奉誦する呪としては
聖号(老祖様のお名前)
清浄呪、免因呪、安寧化劫呪、合霊呪、化厲呪
等が有り道名を与えられるとすぐに教えてもらえます
この内化厲呪は悪霊を払う呪文で
その他は呪の名前を見れば想像のつくものです

神化呪は知らない人もいると思います
あまり一般的に知られていない呪文だと思います

本気で真人クラブであればお教えすることも出来ますが
ここでお教えすることは出来ません

道院の呪は修人の義務だと思っている人がいると思いますが
私はどちらかと言うと権利を与えられたように思っています

何故なら別に呪をとなえなくても神罰があるわけではなく
呪をとなえると良いことだけです 例を挙げれば

私が特に感じるのは
聖号(老祖様のお名前)をとなえると
エネルギーが頂けるのを実感出来ることです

夜中にいやな夢などを見たときなどに 私は
聖号をとなえます 100回となえるのが
ほぼ決まりになっていますので小声で唱えますが
100回となえ終る前にいやな記憶が薄れて 
その夢のことを何も感じなくなってしまいます

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タケノコ怖い!

2010年05月15日 | 日記

落語に「饅頭怖い」というのがあります
このお話は 饅頭が大好きな人が
饅頭が怖いと言って自分に意地悪をしようとする人から
押し付けられた饅頭をタダで食べてしまうという話のようです

私のタケノコ怖いというのは
まあタケノコが大好きと言うほどではないですが
タケノコの季節には一度位は食べないとね と言う位です
タケノコが怖いのは本当です

というのは少し食べ過ぎると
坐の時に気持ち悪くて大変なことになるからです
私はその状態を「気が躁する」と言っているのですが
頭の中がくすぐったい様な、体が飛び跳ねそうな
また体がよじれそうな不思議な感覚がしたり
心臓の鼓動も早くなるような気もします
何とも形容の仕様がない やはり気持ち悪いとしか言えませんね!?

昔から「葷酒山門に入らず」かな? みたいな事を言いますよね
坐をしてみて初めてその意味が判ったような気がします

あれは精の強い食べ物を食べると座禅が出来ない為だったのですね
それと酔っ払っていてはやはり座禅が出来ないという訳
座禅をしないと仏になることは不可能と言う事はそのとおりだと思います

私の場合タケノコは握りこぶし半分位は食べても問題ありません
返って坐には良いかもしれません 程度の問題のようです

タケノコの他にも「気が躁する」食べ物が私にはまだ有りそうですが
ニンニクなどは 怖くて試そうなどという気がしません

食べてしまうと さほどのことは無い物なのですが
玉葱は食べなくても涙が出るほど刻んだりすると同じような現象が起きます
ですから沢山刻むときは水泳の眼鏡を掛けて刻みます

これから坐をする人が沢山になって色々の食べ物の
体に与える影響が蓄積されると良いと思っています

ちなみに玉葱は血液をサラサラにする効果があって
それも刻んでから15分以上空気にさらして置くと
効果が良く発揮されるそうです

血液をサラサラにしておくと言うことは
細胞の末端にまで栄養お酸素を送れると意味では
とても良いことだとおもいます

しかしそれだけでは臓器や器官等の不調を修復することは
難しいでしょう

ヨガやストレッチで身体をほぐすということは
とても効果が有ることです

ですが確実なのは 気が通って行く事です
その意味では気功治療などは効果があることですが
有能な気功治療師に出会わなければなりませんし
いつでも好きな時間に出来るわけではないと言う事と
場合によっては「長い時間」を必要とするはずです

私は自分が坐によって色々な体調の不調が治ったことによって
気が通ってゆけば確実に良い状態に修復されるが
気が通るトータルの時間が問題だと分かりました

結局は坐をするのが最良だと私は言いたい訳です
これって我田引水かな~!?

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密教では仏になれない訳とは

2010年06月05日 | 日記

老祖様が言われるには 密教では成道出来ないとの事
私が経典を読んで解っている範囲で考えても
やはり密教では仏になれないというのは素直に理解できます

私も以前は密教に傾倒していて
桐山密教では1000座行と言って1000日を一区切りにして
毎日欠かさず行をする修行がありまして1000日続けたことがあります
また大嶽の山に住んだのも
密教を修行するのに良いと思ったからでもありました

それがヒョンナことから道院に縁を得て
今では道院の修養のブログまで書いている
全く縁とは 不思議なものです

さて密教では成道出来ない 第一の理由は
エネルギーの消費のし過ぎと供給不足があげられます
密教では色々な増益法などが有って
日々その法を修することが修行のようですが
その度毎に観を用います つまりイメージですね
イメージを多用するということは

道院では陽潜、陰伏と言って 守窔 無念が為されなくては
修養の第一歩が始まらないというのに

第一歩が踏み出されません
またイメージを多用するということは
精気神の後天三宝を消費しますそれも多大に

これでは成道するにはエネルギーを充分に貯める必要があるというのに
とても貯まりません

これは例え千日回峰を成し遂げた大阿闍梨と言え同じです
システムが完全でないのです

では密教をしている人に成道は無いのかと言うと
私はあると思っています

この方々は集中力を鍛えていますし 
成道したい又人に慈をしたいという思いが半端ではありません
ここ趣味人倶楽部に居られる密教をなさっている方などは
ご自分が その修法を行うことによってフラフラに為るほどのことをしてでも
慈をなさっておられます その事には私は尊敬の念を禁じえません

然しながらこの事は成道ということから見れば
エネルギーの消費過多という意味でマイナスです

では如何したら良いか 道院の修養方法を取り入れてください
道院に入れとは言いません

道院の理論、方法を借りて 炁のエネルギーを取り入れてください
成道にはそれ以外方法は無いと思います

方法は炁樂仙女さんの著書「生きる!意味と方法」に
理論方法は紹介されていますし
私のブログの 「永遠の生命、安心」の1~7にも紹介しています

密教をなさっている方で
反論又は補足をなさりたい方がいらっしゃいましたなら
是非コメントをして下さい

そのコメントを私は このブログ(ホームページ)で紹介いたします

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ヨガ

2010年05月29日 | 日記

ヨガを学生時代 野尻杖七先生に手ほどきを受けました
結構永く続けていましたが 今は時々ストレッチ程度をするくらいです
ヨガの本なども読みましたが
ヨガとは心を統御するというような意味が有るような気がします

現在日本でヨガと言われているのは
殆んどは ハタヨガだと思います
つまり健康体操に近いもの

インドで始まった本来のものは やはり神を目指すか
達人(アデルト、アデプト?)超人を目指すはずです

それには瞑想が必ず付いていたはずです
ですがその指導をする グルに必要な資質は少なくとも 天目開
それでなくては弟子の霊の状態が判らず指導で出来ません

でも天目開、つまり天眼通というのはよほどの修養をしないと
現われません

今 道院の経典に親しんだ私には
天目開がどれ程大変なものかが良くわかります

その様な訳で的確に霊的な指導をする人が極端に少ないはずです
それで日本には健康ヨガ位しか伝わっていないようです

ですから現在の日本のヨガで成道しようなどと
考えないほうが良いです

私は日本のヨガはそれで良いと思います
もっと本来のヨガを目指したかったら
道院の坐をして下さい
道院の人も坐をする準備段階として
もっとヨガを活用しましょう

私の経験では坐をしていて 気が通るようになると
体が歪んでいると歪みがとても気になるようになります
その歪みは 気が通っているうちに直りますが
坐は本来炁を導き入れて 霊を凝するものです
体の歪み等を直すために使っていては勿体ないです

坐の準備を良くしておいて
坐の本来の目的が果たされる様にしておかなければと思います

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禅天魔とは何か

2010年06月12日 | 日記

老祖様が言われるには禅はその窔つまり 意識を置いておくところが
解り易く(下丹に置くんですよね) 良いといわれています 

しかしそれは以前の時代(お釈迦様の時代位)では良かったと思いますが
今の時代では成道は難しいです
何故なら現在はお釈迦様や老子様の時代とは違って
先天炁の力、働きの弱い時代だからです

先天炁の力、働きにも波があって今は 
お釈迦様や老子様の時代程には及ばない 
故に修養にも体を持っている有利さを活かさなければ
成道は難しいでしょう

その良いと云われている禅をして
何故「天魔」等と言われるようなことがあるのでしょう
魔にも色々あると思うのですが
ここで言われる天魔に考えを絞ってみます

私が思うに魔とは「愚、おろか」の別名であるようです
悪とは違います「悪」は自分を不善であると解っています
魔は自分を悪と思っていません

実例を挙げてみます 
グリーンピースに代表される環境活動家の中には
魔の要素を色濃く持った人々が見受けられます
自分は正義を行っているのだという自信が有りますので
その行動は止まるところを知りません 法律を破っても
その法こそが悪であると思い込んでいます

クジラやイルカのような知的な生物を殺して食用にするのは
やはり良いことではないと私も思います

神様もベジタブルな食事を勧めていますし
ベジタブルな食事が良いことは間違いないでしょう

この間インドの方ですが水だけで生きている方をTVで見ました
若し この人が人は水だけで生きるのが正しくて
「植物だって感情が有り食べてはいけないものだ」と言った場合
グリーンピースの人はどう対応したら良いと思いますか

事実、植物でも成道する可能性があると老祖さまは云われています
その意味では非常に大切にするべきものです

グリーンピースの人たちは自分達の今までの考え方によって
(法律を破ってでも従わせるべきだという考え方が正しいと考えているなら)
自分たちは 一掃されて然るべき存在となります

道院の「太乙正経午集」では
太古には本当は現在の人が思っているのと違って
人々に争いの念がなく 貪りの心が無かったと言います
そして飲食によって体を養うことを知っているものは少なかった
気霊の凝息を知っている者が多くいたとのこと

つまり仙人のように霞というよりは炁、を自然に取り入れて
生活していたのでしょう

そのような人々からすればグリーンピースの活動家等はどのように
思えることでしょう

真実の一端を知っただけで
全てをその考えに当て嵌め強引に自分の考えを広めていって
抵抗する者は全て滅びるべきものであると考えているとしたなら
どう思いますか 
「魔」ですよね

ところで天魔って言いますが 
天という字がつくと 何か 偉大とか 凄いとか 美しいとか 強いとか
を想像しませんか

禅で悟った人の云う事はやはり「魔」と言いつつも
説得力があったのでしょうね
それで「天魔」と言われたのでしょか
でも「魔」と言うからには全てが承服出来る訳ではなく
少しは違和感が有ることでも
禅によって得た悟りだと強烈な自信を持って言われては
承服するより仕方がなかったのでしょう

禅の悟りとは 知恵、物事の捉え方を 座禅をしているときに
強烈な感覚と共に得たものではないかと思います

ですから自信を持って活かしていく為には素晴らしいものでと思います

しかしそれを世の中の全てに当て嵌めてしまうと
やはり「魔」となる危険性は免れないと思います

ところで悟りは成道とはあまり関連性はありません

成道とは霊体を完成して輪廻を脱し神、仏、仙人、真人となるのですが
霊体を完成するには 炁を絶えず取り入れ続ける必要があります

禅で成道とはするには 一週間に一度長い禅をして後は禅をしないなどと言うことではいけないと思います
毎日あまり長くない禅でもしなければ成道することは理論的に無理なはずです

禅で成道するのは身体を持った特質を生かし切れていないので
難しいとは思いますが 不可能ではないと思います

それには禅を毎日の食事をするように間断なくすることが大切です

それに出来れば 肉体を持った有利さを生かすために
掌を膝がしらに付けることをするとよいと思います

その位置は掌に心臓の鼓動を感じるところです

とりとめの無い事を書いてしまいましたが
要は自分の考えが正しいと思っても 
若しかしたら より以上の真実、方法が有るかも知れないと
謙虚になりましょうと言う事と

禅をしている人が肉体を持つ有利さを知って欲しいこと
また「毎日禅を食事をするように」して欲しいということです

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老子さんの教えを読んで

2010年06月19日 | 日記

以前「老子」という書物を読んだことが有ります
何が何だか解らなくて頭が混乱してしまいました

偉いお方で素晴らしい教えだと聞いていたのに 矛盾だらけで解らない 
自分の理解力が足らないのだと思っていましたが
今になると 書いている人もあまり解っていなかったのだと
思えるようになってきました

とにかく無為自然 何もする必要はない
又何らかの役に立つ必要もないというのが
全体のバックボーンになっているようです

一つ 今でも覚えているお話しに
ある所に巨木が生えていて 
人がその大きさに関心して見上げます
何故これほど大きくなれたのだろうと誰もが思います

そこに大工の師弟が通りかかり弟子が感心すると
師匠があれは枝ぶりが悪く建物の材料にはならない木で
何の役にもたたない木だ と言います

その晩師弟の夢に巨木が出てきて
私は役にたたないからこそ切られもせずに 
これだけの巨木になれたのだ
と言ったとのこと

それでは役にたたないことが
素晴らしいのかと私は ?と思ったことが有ります

どうも無為自然が解っていなかったようです
無為とは私が理解している道院の教えでは
成道する為には 炁をとり入れて霊体を完成して輪廻を脱し
神、仏、仙人、真人に成りますが
その炁を取り入れるための準備を完全にして 
自動的に炁が取り入れられるシステムを構築できた暁に
それ以上は何もしない 何の意識的操作もしないというのが無為です

自然と言うのは炁の働きです
炁のシステムが発動することです

この事を理解して老子さんのお話を聞くと
少しは解り易くなると思います

老子さんの教えは 昔、中国で書物が焼かれてしまい
体系だったものが残っていないようですが
老祖さまがおっしゃるには素晴らしい教えのようです

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道は做

2010年06月24日 | 日記

私はこのブログで自分が工夫したり 
会得したコツ等を坐をする上で役に立ちそうな事は
お節介と自分でも思うくらい どんな小さいことでも書いてきました

本当は去年の年末位で大体 
今の私の知識また坐の進捗状況では書き過ぎくらいでした
今は前に書いたことを詳しく書いたり 違う例えを引いたりの
まあ言ってみれば蛇足に近いものではいかと思っているくらいでした

前回の「老子さんの教えを読んで」では
あやふやな記憶で 巨木のお話などを書いてしまい

勘違い (入口鬼太郎) 2010-06-21 11:38:29
私もお仲間の修方です。よくブログは拝見させていただいております。しかし、今回はもの申せざるを得ません。
老子様がどうのこうのおっしゃられいますが、全くの間違いで、荘子にある一つの物語です。
老子の「道徳経」とは全く違うもので、修方としてこの様なミスは、許されないレベルのものですよ。
荘子は道院には齋られていません。
道院のことを語るには、また、老子様を語るにも、慎重にお願いします。
同修よりの提言でした。

と御指摘を受けてしまいました 誠に恥ずかしい次第です

私のコメントもコピーしておきます

(修方) 2010-06-21 20:24:40
巳集巻六の第二節 に
虚霊不昧。聖徒賢子。略得一二。宏規大模。
闢之者老荘為一流と言って 荘子さんは道院では祭られていないかもしれませんが 
高く評価されておられるようです

これから気を付けます
ご提言有難うございました

宜しかったら趣味人に来てご一緒に合研しませんか
ハイレベルな教養を身につけておられるようですので楽しみにお待ちいたしております

そのような訳で坐がもっと進むか 
皆さんにお話しするにふさわしい良い工夫が思いついたり
又 これは書いておきたいということが出てきたりするまでは
自分の修養に専念するつもりです

そうは言ってもお節介な私ですので 
また小さなことでも書いてしまう時があるかもしれませんが?

ブログはこのまま残しておきます

ところで 道は做 でした

道は做とは老祖様のお言葉で 道は自分で做(サ、なす)
つまり自分でしなければ、行動を起こさなければ(坐をしなければ)
「何の役にも立ちませんよ」ということです

私のこのブログ(ホームページ)は皆さんに坐をして頂きたいという思いのブログです

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読者コメントにお答え

お伺いします (あきひこ)

2011-04-11 00:40:03

生きる意味と方法及びこのブログを読み、自分なりに心坐をやってみました。頭の上に意識を
置くのをしばらく続けていると、頭上から額にかけて重みやジンジンした感じが離れなくなり
ました。額になにか乗っかっているようで、あまり気分の良い感じはしないのですがこれでよ
いのでしょうか?
今は胸に集中する方も試していますが、頭上から額にかけての感覚が取れないのでそちらの方
に意識が行きやすいです。
よろしくお願いします。

このようなコメントを頂きました

あきひこさんに言われて初めて気がつきましたが

私の場合は囟門のあたりを中心にして約1012cm位の範囲に

毛糸の敷物を置いた位の重さを感じるようです

私は弱い電流を流したような感じと思っていましたが

ジンジンした感じと言われるとそのようにも感じますね

私の場合は心坐の重要性に気付いて以来 

何としてもいつでも心坐に気をつけるようにと言うサインを出す

装置の様なものを欲しがっていましたので

この感覚が来たときは 老祖様から特別の贈り物を頂いたようで

大歓迎でしたのでこの感じが気に入って 

最初から気持ち良いと感じてしまいましたが

もしそうでなかった場合には 

何時でもこの感じが取れないわけですから

非常に嫌な気持ちになるのではないかと思った事も有りますね

それから胸に集中することを試しているとのことですが

軽く意識するぐらいでよいのではないかと思います

頭上から額にかけての感覚が取れないのでそちらの方に意識が行きやすいです」

との事ですが 次の段階として天人一貫と言うことが言われています

両方を同時に感覚する修養ですね 

それがもう自動的にできる様になったと考えると

とても良い状態だと思うのですがどうでしょう!


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心坐の一つの方法として

老祖と共に。 (鬼雷) 2011-04-25 21:05:29
先天の坐は、有為の坐では、無く、無為の坐であります。
着相するなかれ。(丹田に意識することは、しない。肉体に意識を置かない。)しかし、坐に於いてその窔を守らなければならないと。守窔。それは、意識をするということ。
矛盾か、否。人の意識も自然の顕われであると悟るべきか。先人の真人は、「有為を以って、無為とした。」
いずれにしろ、炁楽仙女さんの修養は、人の模範と成ります。
僕は、何故坐をしようと考えたのであろう。最初は、坐も長続きしなかった。悟りを啓きたい。超能力を得たい。欲心を以っては、続かなかった。
ある時、弭刧寿世要旨を読んだ時、至聖先天老祖と謂う神が「人を救いたい。この世を塗炭に変るのを防ぎたい。人を生かしたい。」その親切なる慈愛に触れた時僕は、感動した。感激した。
僕は、坐によって悟りなど、超能力などいらない。そんなもの「くそくらえ」。只、老祖の思いやりに答えよう。老祖が喜ぶのであればと坐を継続できるようになった。
坐とは、吾が道である。
と言いつつも、心坐の要旨がなかなか理解していない鬼雷です。
常中座我。ん~ん。人の思いは、源泉渾魂わき出る水。炁楽仙女さん。やはり、ある程度の強制は、必要なのでしょうか

このようなコメントが有りましたので

私のしている心坐の方法を一つの方法として提案してみます
私は形坐を終わってからなるべく心坐に移行するようにしています
形坐を終わってから体をさすっている人がいますが
体が強張っていたりすれば さするのは良いでしょうが 
そうでない人は形式にこだわってさする必要はありません
それよりも形坐の良い状態をそのまま心坐に移行するのが良いと思います

形坐で血液や気の回りが良くなっていたり 体がホカホカしているとか
大抵の人は良い状態にあるものです

形坐から心坐への移行は 手を膝から離す 目を開く
形坐で得た感覚をそのまま保つだけです 
その状態を続けられればそれが最善だと思います

形坐は炁を取り入れそれを霊として充する(溜める) それが目的です

ですから心坐の最終形態として 形坐をしているのと同じように
心坐で気が回り炁が入ってくる状態になれば良いわけです

形坐を終わったとき気持ち良かったらその感じをそのまま維持して
手を膝から離し 目を開けましょう そしてそのままを維持しましょうということを
心坐の一つの方法として提案します

これが最善かどうかは解りませんが実用的ではあると思います

この方法に慣れたなら いつでも心坐をすることに慣れると良いと思います
とにかく習慣にして努力感が無くなるようにするのが良いのではないかと思います

道院は強制をしますよ それは悪い習慣を治す強制
良い習慣をつける強制(先天炁が入ってくる状態を作る強制)
有為を以って、無為としとは 良い習慣をつける強制を有為と言い
その良い習慣が努力しないでも知らないうちにしてしまっている 
と言う状態を無為と言うと私は解釈しています

炁が入って来るようになると気持ち良くて
その状態を維持するのが好きになって努力だなどと思わないようになります

守窔 このばあいの着想は 強く意識しないというくらいに考えた方が良いと思います
守窔の最初は中真(中丹田、黄庭、玄関、みな略同じところです)を軽く意識します

鬼雷さんはまだ正経の日訳等に親しんでおられないでしょうに
良くここまで道院の理論を学習されましたね 素晴らしいですね

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「心坐の一つの方法として」に

真炁來復。 (鬼雷)
2011-04-30 21:39:15
ああ僕の蒙が開かれた。是は、言葉には、しにくいものであり心坐が我が道と合したことを意味する。是は、奧竅の秘であり、体得した人は、その道への血の滲むような修養がその奥義を顕わしたのであろう。
ああ、僕のようなものに、導坐がなされようとは。至聖先天老祖、気楽仙女さんに感謝のしようが御座いません。
もし各人が心坐の秘訣を体得知れば、天地人一体と成り、地軸の大いなる安寧をもたらすと考えます。
僕は、どの様にして炁楽仙女さんの恩義に報いられるのであろう。
叩頭九拝。師と奉ります。

というコメントを頂き 私は
Unknown (
修方)
2011-05-02 08:18:37
すみません

この記事についてはは修方が書いています
楽仙女さんの記事ではありませんので
おことわりしておきます

とお返事しましたところ また

失礼しました。 (鬼雷)
2011-05-02 20:59:58
いやいや。勘違いは、僕の方です。
流れから勘違いしました。m(__)m
いずれにしろ同じこと修方様。
僕は、あなた様を師事します。ありがとうございます。

とコメントを頂きました

私たち道院の修方(修養する人)にとって

師とは 「老祖様」を言います

老子様も お釈迦様も マホメット様も キリスト様も 孔子様も 
特別にお祭りしている方々ですが 師匠ではありません
尊敬すべき方々であり 目標とすべき方々であります

また老祖様は 衆生は皆「吾の分霊である」と言い
修方どうしは親しきこと手足を超えると仰っておられます
正直私は未だそこまで思えませんが
修養が進むとその様に感じる様に成るのでしょう

その様な訳で師事するなどと言われると 恐れ入ります
私たちは兄弟弟子なのです

私達修方は 助け合い、手を取り合い、後押しし合って
皆が一緒に真人に成るのです

ですから 自分が工夫したり悟ったことや経験したことを教えあって
隠したりしないのです
少なくとも私はその様にしてきたつもりで居ります

今回は鬼雷さんに素晴らしいお教えを頂きました

真炁來復は 「太乙北極真経」 の誦経で200回以上読んでいるはずですのに
うっかり見過ごしておりました 気付かせて頂きました

また

「各人が心坐の秘訣を体得すれば、天地人一体と成り、地軸の大いなる安寧をもたらすと考えます」 
との言葉は 私の生涯の目標ともなるような 素晴らしい言葉だと思います
良い目標を与えて頂き感謝いたします

私たち全ての修人(全ての宗教、又道徳の修要者)は互いに尊敬出来る様に成りたいものです

お詫び。 (鬼雷)

2011-05-07 22:05:51

修方さん。
僕の考え方に偏りが、あったようです。
改めて、お願いいたします。僕は、40前なので、たぶん年下でしょうが、友として、仲間として、後輩として、同士として、兄弟弟子として、お付き合い意を宜しくお願い致します。

こちらこそどうぞ宜しくお願いします (修方)

2011-05-08 23:05:01

こちらこそどうぞ宜しくお願いします
私は194852日生まれ だいぶ年上のようですが私達は兄弟弟子で仲間です
これからも助け合ってお付き合いしましょう

ありがとうございます。 (鬼雷)

2011-05-09 22:05:20

僕は、済仏さんの流れですので(冗談です)共に酒を飲みながら、道と坐について語れたらどんなに楽しいことでしょうか。(お酒を飲まれなかったらすいません)
「道」の知己を得ることは、大いなる宝でありこれほどの幸せは、御座いません。


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二年間機関限定

長期間坐をしても効果が感じられないのはなぜ? 
効果が上がっていないから
なぜ効果があがらないのかな?
坐の時間が短すぎるから 

以前の老修方は 坐は48度で充分だと言っていました
でも現実には日本の修方で坐によって真人に成られた方は御一人もいません

先日中国語のできる先輩修方から
素晴らしい情報をメールでいただきましたので抜粋をコピーします

『今回彰化道院の訓文の研究会は
香港、台湾、日本とスカイプを通して意見交換をしています。

特に驚いたのは、彰化道院では
一日4回 1時間ずつ分けて修坐をして、
その他の時間は心坐をすることで
かなりひどい病気、糖尿病なども自然治癒している事実です。
学校に行ってない人も、修坐で体を直して、修道に入っています。

林木さんも65才の時、肝臓がんを坐で排毒したことを
私に話してくれました。
肝臓がんは大きなかさぶたが脛にできて、それが取れたら
体はよくなったそうです。
細菌性の病気でも免疫力で治るということと、
今彰化道院に来ている人は
糖尿病が治って、
男の機能が回復したので
坐を信用して道に入っている人もいます。
色々な人が、いろいろな経路で道院に入るようになりました。
時代の変化です。

修坐のこのような自然回復は以前は半信半疑でしたが、
彰化道院ではそれをプログラム化の段階に入っています。

今回彰化道院に行って気がついたことは
今までの道院は坐候と経典は話してはいけないという
ある種の約束を作っており、
それにより
修行の切磋琢磨が阻害されてきた歴史です。
それにより、伝承が途絶えてしまいました。
結局、今は坐の先生もいなくなりました。

彰化道院はもともと道教関係の修行をしてきた人が、
それにはあきたらず
道院の経典に従い坐の研鑽をしたところ
非常に簡単に早く修行が出来ることに驚き
研修会を組織しました。

この研修会の教本は訓文が主です。
その研修会も現在の台湾道院では
道院の認可をえたものでないということで
承認はされていません。

それに対して、それはあまりにもおかしいとして、
台湾道院の女社のトップの
○○さんが、そんなことは気にせず
研修を続けなさいと励まして、
香港、台湾、日本と同時研修が
始まっている次第です。

皆、生命と死に対して必死に向き合っています。

頂いたメールの中で、
マニュアルがあればというお言葉ですが
やっていることはマニュアルはなくて、
お経と訓文の内容をどのように受け取るかと
いう、受け取りかたのみです。
強いてマニュアルというならば、
先日お送りしました默真人さんの
坐の訓文です。

これは簡単すぎてみな見過ごす内容です。
しかし、その内容の重要さに気がつき、
その通りに坐を実行したのが
彰化道院のすごいところです。

1
4回の坐は現代生活に合わないとして
今までの道院は取り合って気ませんでした。
しかし、現代の生活に合わないというならば
イスラムの16回の礼拝は1回にして良いかという
ことになります。
1
1回で良いという今までの指導が
坐の修練の間違いの出発点です。』
このような内容でした
私は毎日坐の時間を1時間位に延ばして
それから効果を感じるようになって来ました

その経験から坐の時間が足らないから坐の進歩が無いのだと思っていましたが
その考えが間違っていなかったと確信致しました

皆様にも今一度坐の時間の延長をご考慮頂きたいと思います
現在は真人に成るには坐以外の道は殆んど在りません

坐が効果を発揮しない限り 「人は唯の人」でどんな学習も
どの様な研究をしても 人は真人になれる事はあり得ません
坐の実行により炁(先天のエネルギー)を取り入れるよりほかに方法はないのです

このメール下さった先輩は
坐を1日8度(32分)づつ4回やると言っていました

私は16度(64分)を2回か
32
度(128分)を一回の方が良いと思うとメールいたしました

私としては皆様に一日16度(64分)
できれば合計で32度(128分)の坐してほしいと思います

もし合計で16度(64分)~32度(128分)2年間続けることが出来ましたら
必ず坐の効果を実感できるでしょう
そしてもっと短い坐の時間にすることも出来ます

二年間期間限定のつもりで

坐は休憩と思い 修養とは考えず、たくさん休憩を取ろうという様な気持で 
坐の時間を増やたらどうでしょうか

皆様ももう一度お考えください

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経典

道院の修方に 道院の経典の代表はと聞けば
太乙北極真経と太乙正経午集をあげるでしょう
しかしながら誰も「難解であって理解できません」と声をそろえて言うことでしょう

現在日本の道院の日訳経典には
太乙北極真経、太乙北極真経奥義、太乙正経午集があります

太乙北極真経の日訳は私にはまるで理解が出来ません
深遠にして広大、人智では理解困難と言われてきただけあります
この日訳を読むと自分の能力の無さに絶望を感じざるを得ませんでした

林木先生の日訳太乙正経午集を二十年以上前に頂いて読んではいたのですが
やはりチンプンカンプンでした
先生は合研の会で解説をなさるおつもりだったようですが果たさずに帰道なされました

最近は仙女さんの日訳太乙正経午集を読むようになって
経典の言っている事が少しは理解出来るようになってきました
参考解説を書いてくださっているおかげだと思います

これは私の思い上がりかもしれませんが
この日訳を読んだおかげで総ての宗教の根本が解り
その宗教の優れた点や不足の部分などが解るようになり
そして現在の宗教では神にも仏にも成るのは不可能と考えるようになりました

太乙正経午集のほんの一部分でも理解すれば解ることです
太乙正経午集を読まずまた理解せずでは道は語れないし、道を語るのは無理がある
それ程のものです いや究極の経典と言うべきでしょう

しかしそれが解るのも仙女さんの日訳及び参考解説があるからこんなことが言えるわけで
原文を読んだだけでは何のことか 私などでは一生掛ってもチンプンカンプンでしょう
多分殆どの人が私と似たりよったり位の理解しかできないことでしょう

太乙正経午集の日訳及び参考解説は修養を志す人にとっては人類の至宝です 
衆生の至宝という事が出来ます
私が知っている限りでは 
地球で唯一 人をして神、仏にすることのできる法を説いた経典です

以前私は道院の理論体系を理解したいものと 
日本の道院始まって以来の月刊誌約四十年分
それと道院の日本語の出版物手に入るだけ全部を
端から端までを丸一年かけて読んだことがあります
でも道院の理論体系はまるで雲をつかむようでした

今になって判りますが太乙北極真経は至高の経典であり
太乙正経午集は究極の経典である、とても人知の及ぶところではない
とこの様に信じて太乙北極真経を日訳した時点で力尽き
太乙正経午集を研究、日訳する事自体をタブー視するような風潮が出来てしまったようで
太乙正経午集の理論体系は誰も理解していなかった様です
ですからそのような方々の書いた理論や訳した訓文を読んだのでは
道院の理論体系を理解出来る方が不思議です

道院月刊誌や出版物、訓文集の日訳などを読んで
道院の理論体系を理解したとお思いの方は初心に帰って
太乙正経午集を原文でもよいですから読んでみることをお勧めいたします

今日の日記は私の独断、独善のような評価分析で
道院の先輩をけなすような文章になってしましたが
先達、先輩方が頑張らなかったり誠意がなかったわけではありません
現在の道院の低迷は神界では仕方のないこととお判りのことでした

今は時期が冬の時期で畑に種を蒔いても芽が出ず成長もしない そのような時期であり
いくら誠意をもって頑張っても道が隆盛になることはないという事が
訓文でおさとしされておりました
事実尊敬すべき先輩方を何人も見知っております

そして道院の隆盛は神界からの予言では「東瀛より隆盛になる」とあります
日本から隆盛になるとのことのようです

やはり「太乙正経午集日訳及び参考解説」より始まるのでしょう

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修養

「修養とは先天の気;を充すること」と一言で言えた道院関係者は私の知る限り
仙女さんだけでした。
道院の経典、訓文の日訳や解説を読んでも意味がさっぱり不明と言うことは
この事に尽きると思います。

仙女さんの「太乙正経午集日訳及び参考解説」は正経を拝領した方のみ
mixiのプライベートコミュニティー「合研」で読むことが出来ます。

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生きる!意味と方法の入手方法 

炁楽仙女さんの著書「生きる!意味と方法」電子書籍版が
アマゾン、楽天kobo、Apple iBookstore等の電子ブックストアでも
入手できるようになりました。
修行、修養を志したことのある方なら
心、空、虚などは 一度は正確に理解したいと思ったはずです。
「生きる!意味と方法」には誤魔化さずに納得出来る説明や
活用方法の提案が書かれています。
まだお読みになっていない方は、是非一読されることをお勧めいたします。

アマゾンでは
「 生きる!意味と方法 amazon 」で検索
その後アマゾン内の検索サイトで 
「 生きる!意味と方法 」と入れて検索すると
Kindle版 生きる!意味と方法が見つかります。

楽天koboでは
「 楽天kobo 電子書籍 」で検索 
楽天Kobo電子書籍ストア: 漫画・小説が今すぐ電子書籍で楽しめる をクリック 
「 生きる!意味と方法 」で検索すると見つかります。
対応端末は 電子ブックリーダー, Android, iPhone, iPadです。

その他 MBJ(出版社取り次ぎサービス 株式会社モバイルブック・ジェーピー)の提携電子書籍ストアで入手できるはずです。

試読したい方は https://bookway.jp/ 、風詠社 で試読できます。

本の形で読みたい方は
https://bookway.jp/ 、風詠社でオンデマンド本も入手できます。

よろしければ知り合いの方にもお知らせください。

なお グーグルのアプリは不具合が生じたため現在まで入手出来無い状態にあり、この先も不可のようです。


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